「 南湖院」



結核療養所(サナトリウム)

神奈川県茅ヶ崎市南湖に

明治32年、

内科医・高田畊安によって開院









「高田畊安」


1861年に

京都で藩士の子として生まれ

京都医学校を経て、

明治23年東京帝大医学部を卒業







結核で兄を亡くし自分も同じ病気で

転地療養した体験から

結核の治療に生涯をかける












昭和11年頃の「南湖院平面図」



敷地は

約165000平方㍍





今の地図に重ねてみると、

ピンクで囲った所が

「南湖院」全体の敷地です



黒い斜線の部分が現在残っている

「南湖院跡地」











現在、その一部には

「老人ホーム太陽の郷」

があります


















高田畊安が

この地を結核療養所として

選んだのは



目の前の青い海、

広大な砂丘や松ばやし




結核療養所にふさわしい風景が

そこにあったから

なのでしょうね












今も残る唯一の第一病舎



この建物と残った土地が

2015年に茅ヶ崎市へ寄付され

文化的遺産として

保存されることになりました














最初の患者は3人

その中には、勝海舟夫人も

いたそうです









その後、作家の国木田独歩、

坪田譲治、中里海山らも

療養生活を送ります





































鍵穴が

ノスタルジアですよね











病舎の中は公開されていません













昭和19年


太平洋戦争の影響から

海軍によって

南湖院の一部が撤収され

その翌年

高田畊安は83歳で

亡くなり、

南湖院はその役目を負えました








開院から解散までの

患者数は約15000人






















@茅ヶ崎市南湖院            









つづく