心の声
本当に好きだったんです
あの時はうつ病で休職と復職を繰り返していて、
異動前にうつ病になっていて、異動後着任しないまま休職に入り、新しい上司や同僚との人間関係もないままだったから、復職しても、上司は私の働きを期待することはなく、同僚も腫れ物に触れるように接し、私はただ座っているだけ…
会社のために頑張り続けても、つまずいたらこういう扱いなのか…
ダイバーシティマネジメントの推進の後押しもあり、多くの活躍機会をいただき、責任のある職務にも就かせていただいた。
ただ、当時は仕事の忙しさだけでなく、母親の統合失調症による被害妄想は加速していて、精神疾患だと自覚しない母親を病院に連れていくこともできず、仕事中に電話とメール攻撃が毎日100回ほどあったうえに、電話に出れば心をえぐられるほど傷つくことを言われ、家に帰れば、攻撃され、寝ても明け方にはまた母が部屋のドア越しで攻撃を始める…
仕事をしながら、仕事中も家にいても母親の攻撃3年間受け続け、何とか入院させ治療にあたらせてからも、今度は薬の副作用で寝たきり状態になったりと、心を落ち着ける場がなかった
そんな毎日を過ごしていたら、心のダムが崩壊してしまい、私はうつ病と診断された
私がうつ病気になるなんて、自分自身が信じられなかった
むしろ、うつ病は心の弱い人や仕事から逃げ出す口実で病院に行って診断書を取り付けた人が病気になったフリをしているようなものだと思っていた
自分がうつ病になったことなど、誰にも打ち明けることはできなかった
私がうつ病になり、休職した頃は、母は寝たきり状態からは回復し、日常生活が送れる程度になっていて、被害妄想の症状はあったが、薬のおかげで落ち着いていた。
ただ、母は私がうつ病になったことを受け入れなかった。
あんたはうつ病なんかじゃない。ただ仕事についていけなくなって逃げ出しただけなんだろ
何度もそう言われた。
きょうだいにも打ち明けたが、何か言葉をかけてくれることもなく、母のことでサポートしてくれることもなかった
周りに打ち明けることもできず、家族にも理解されず、本当に孤独だった
朝は一番気持ちが落ち込んでいた。
起きることもできず、午後1時ごろに何とか起き上がる事ができた。
太陽の光や明るいところにいるのも避けたいと思っていた
いつも部屋は明かりが入らないようにブラインドをおほし、電気もつけないようにしていた
テレビも見たいという気持ちにならなかった
特に、バラエティなどは嫌悪感すら感じていた
ただ、ひたすら薄暗い部屋で、座っていたり、横になったりして過ごしていた
夜になると気持ちがソワソワした
寝たらまた朝がくる…
朝が来ないで欲しい…
そして、眠りにつくことができなくなった
そんな日がどれくらい続いたのでしょうか…
一年半くらいかな
そして、今度は母は5回目の癌、悪性リンパ腫の、ステージⅣと診断された
うつ病で出歩くこともしんどかったものの、病院へ毎日通い、母を励ました。
復職した時は、会社と病院と家事と、何とかこなしてきた
ただ、復職しても、なかなか馴染めず、心も不安定だった
そしてまた休職…
抗がん剤治療後、退院した母との生活も楽な物ではなかった
母は自分の病気のことしか頭にはなく、私がうつ病であることなど気にもしない、というか、そういう認識すら無くなっていたと思う
誰かと話したい
話し相手がほしい…
誰かに私のことをわかってほしい
心が救われたい
誰かに会いたいと思う気持ちはなかったが
誰にも理解してもらえない寂しさと孤独感を何年も抱えていたことから、
自分を理解してもらえる話し相手が欲しいと思い始めた
そんなことがきっかけだった
母の事を大切に思い、私のことを理解してくれた人に出会えた…
その時はそう思ってしまった