400年間で山一つが陶磁器に変わった跡地である「李参平発見之磁礦地」。
昨日に続いて九州ツアーの紹介ですが、今回は「有田焼」で有名な佐賀県有田町観光です。今回特別に慶尚南道の団体の要請として「有田焼」のルーツ探訪の一連の流れとなりました!♪ヽ(´▽`)/
まずは、かつて秀吉の朝鮮出兵で日本に連れてこられた、有田焼の祖である朝鮮人陶工・李参平(日本名:金ヶ江三兵衛)が、佐賀の山々を探し歩いて磁石の鉱山を発見し、1616年に初めて「磁器」を焼いた泉山磁石場ですね。「李参平発見之磁礦地」という石塔が立てられており、正確にはその鉱山自体は消えて残っておらず、400年間でその山一つが陶磁器に変わったと書かれている場所です。「石場神社」の横には朝鮮陶工たちが先祖を祀った「高麗神」の碑もあります。
続いて、その鉱山で採掘された最高の陶石を使用して、時の江戸幕府の将軍に献上されるような最高級の磁器を焼いたという、佐賀藩直営の藩主御用窯があった伊万里の「大川内鍋島窯跡」。ここは当時、門外不出の日本磁器の最高峰・鍋島焼を焼く33基の登り窯があった所ですが、その技術を守るために関所で封鎖され、結婚も許されず子孫も残せずに亡くなった朝鮮陶工ら880基の無縁墓標を集めてピラミッド型にした供養塔「陶工無縁塔」もある場所です。その供養塔の前で皆で黙祷を捧げました。
最後に、その日本の有田焼がヨーロッパで大人気となって宝石ほどの価格で取引されるようになり、1709年にはドイツのドレスデン地方マイセン市において、ヨーロッパ初の磁器「マイセン磁器」もつくられる結果になったということを記念して、1979年、有田町とマイセン市が姉妹都市となり、有田町にはそれを祝って、ドイツのツヴィンガー宮殿を再現した陶磁器ギャラリーを建てたという「有田ポーセリンパーク」で、李参平の登り窯を再現したものを見学しました。
このように一連の流れを見ると、有田焼の華やかな歴史も、また違った角度からみることができ、日韓の友好関係が深まっていくためには、韓国の方々の目から見たその再評価をしていくべきだなあということを感じましたね!(*´ヮ`)/
有田焼の鉱石が掘られた泉山磁石場。
最初に深い山間にある「石場神社」。
その横に文字も読めなくなった「高麗神」の碑もあります。
山間で春を咲き誇る花もなぜかうら寂しく見えました。
こちらは山の谷間の伊万里の「大川内鍋島窯跡」。
門外不出の日本磁器の最高峰・鍋島焼を焼く33基の登り窯があった所です。
今はとても美しく整備されています。
でもその傍らには。
朝鮮陶工ら880基の無縁墓標を集めてピラミッド型にした供養塔「陶工無縁塔」。
陶磁器でできた橋もあります。
ここの名物である風鈴の音もうら寂しく聞こえました。
これは再現された韓国式の「唐臼小屋」。
川の水を利用してその力で鉱石を陶磁器用の粉に挽きます。
陶磁器について学べる「伊万里・有田焼伝統産業会館」。
こちらは「有田ポーセリンパーク」で李参平の登り窯を再現したもの。
陶磁器体験もできました。
ここは長崎のホテル「長崎にっしょうかん」。
長崎の街が見下ろせる展望のよい食堂。
長崎ちゃんぽんです。
長崎の夜景ですね。♪ヽ(´▽`)/
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