■『神様のパズル』(機本伸司)を読んだ。 | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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●「なぜ自分はここにいるのか」


『神様のパズル』(機本伸司/ハルキ文庫)を読んだ。


この物語は全編を通じて、「天地開闢」に関する問いかけ、まさに「神」に対する問いかけに満ちている。ところが一方では、留年寸前の「僕」を主人公としたどたばた学園ドラマでもある。読み終わった感想からいえば、そのアンバランスさこそが、まさに見事なまでの「神のわざ」だったといえるだろう。


「僕」に対して、“16歳の天才物理学者”で同じ大学の在学生でもある穂瑞沙羅華(さらか)は、自らを「天才児がほしいという母親の都合でつくられた」と説明、母親のことを「彼女は好みの凍結精子を金で買った」とまで語ってのけた。


彼女の研究は、宇宙誕生の仕組み。


「宇宙を知ることは、自分を知ることでもあるわけだ。私も自分のことが知りたい。なぜ自分が生まれてきたのか。なぜここにいるのか」


「私は“彼”に訊くしかないと思った。“彼”に会って、なぜ自分を生み出したのか、なぜ私がこんなに苦しまなければいけないのかを問いたいと思った」


「しかし、いったいどうすれば“彼”に会える? ひたすら何かに祈り、『会えた』と信じられる人はそれでいいだろう。けど私には、それもできない。思いついたのが、宇宙創世だ。宇宙を作れば、必ずそこに“彼”がいるはずだ。宇宙創世は、解決できない私の疑問に対する解決策だったのだ」


ところが同時にここに、彼女自身が抱えるもう一つの命題があった。それは意外にも、「なぜ、名曲といわれる音楽が、自らの心を感動させるのか?」。


彼女はベートーベンの第九『喜びの歌』を聴きながら「すばらしい音楽を聴くと、感動と同時に神秘を感じる」と語り、その名曲の楽譜が持つ法則性を数学的に解析することでそれを解明しようと、自らプログラムをつくって答えが出るまで解析を繰り返していた。そしていみじくも、「僕」がゼミの教授から出された宿題も、「『ド』は何ヘルツかを調べてそれを考察する」というもの。



●「神のパズル」の答えとは


さまざまな試行錯誤の末、彼女はとうとう、宇宙がどのようにつくられたという究極の「最終理論(TOE)」を解明してしまう。が、その結果、彼女が導き出した結論とは、この宇宙が存在する意味は「無」、すなわち無意味であり、さらには今回の宇宙は「失敗だった」というものでもあった。そこでこの宇宙をリセットし、もう一度再起動するため、本当に新しい宇宙をつくろうと、自らの理論に基づいてつくられた巨大放射線加速器“むげん”を占拠するという大暴挙に出る。


彼女が宇宙をつくれば、今あるこの宇宙は跡形もなく消えてしまう。


もう、彼女を止めるには、彼女の「最終理論」を覆す理論を、この「僕」が提示し、「神のパズル」の真の答えを出して、彼女の結論を覆す以外には道がない。


ところがその「僕」は、彼女からみれば、それこそ「無意味」だというしかない日々の苦労を続け、わけも分からずそれにとらわれているだけの、まさに「無意味」な存在なのである。


ベートーベン第九が大音量で奏でられる中、その音楽の持つ意味と、「ドは何ヘルツか?」という問いが持つ意味、この宇宙が存在していることの意味と、「人生に生きる価値はあるのか?」という問いに対する答えが、この、できが悪く卒業を危ぶまれている「僕」によって解明されなければならない。その答えを示唆する、彼女が最も求める、英単語6文字の「パスワード」とはいったい何か? 宇宙最後の瞬間は、刻一刻と迫る…。



●「学園小説」か「神学書」か


この物語は、最後に「僕」が守った最大の「無意味」の中に、その「答え」を、突拍子もない方法で示してくれる。でもそれは、彼女が出会おうとし、彼女が問いかけようとした神が、彼女に与えた「答え」でもあったのだといえよう。


はっきりいって、その答えは、ある面、読者の読み方次第かもしれない。その答えをどのように捉えるかによって、この本が、単なる学園SF小説に終わるか、それとも究極の哲学書としての「神学書」になるかが、決定付けられるのだ。そして、少なくとも日本SFの大家である小松左京は、絶賛をもって「第3回小松左京賞」をこの作品に与えている。


「たかが小説」かもしれないが、神と向き合って宇宙を論じようとしたユニークさゆえに、実に驚くべき理論をその中から読み取ることができるし、実際、穂瑞沙羅華の「最終理論(TOE)」に至る過程には私自身、何度もうならされた。特に、神が「光あれ」といわれて宇宙を創造されたという聖書の記述に大きな示唆を与える、「光」に関する解明には驚いた。すなわち、私たちは光の存在を「基盤」とし、「ものさし」とすることによって存在し得ているのであり、まさにこの宇宙があるということは“光”があるということに他ならない、というのである。


宇宙論が本格的で、かなり難解な部分もあるが、もちろんそれがまったく理解できなくても充分楽しめる、お勧めの一冊だといえよう。