横浜中華街の寒天
こんにちわ。セミコロン寒天道です。 こんなところに寒天が・・・・
横浜中華街の寒天
都内の中国食材店で探したのですが無かったので、中国産の寒天は無いと思っていました。
ところてんは平安時代に遣唐使によって中国から伝えられました。ところてんを凍らして作る寒天は日本で作られました。
全ての中国食材店にあったというわけではないのですが、いくつか寒天をみつけました。さすがに杏仁豆腐の素やマンゴープリンの素は、どこのの食材店でありましたね。
中国でも一般的に食べられているのか、輸入用のみに製造されているのか良くわかりませんがちょっと気になりました。
(写真右 中華街のメイン通り)
【中華街豆辞典】
中華街は外国人居留地が発展した街で、安政4年にペリー提督が浦賀に来訪したときに、徳川幕府が横浜を貿易港として定めたのが始まりとされています。
横浜は欧米人の居留地として、商取引を行って発展しましたが、年追うごとに貿易も盛んになり、それと共に中国人の数も増え現在に至っています。
中華街は外国人居留地が発展した街で、安政4年にペリー提督が浦賀に来訪したときに、徳川幕府が横浜を貿易港として定めたのが始まりとされています。
横浜は欧米人の居留地として、商取引を行って発展しましたが、年追うごとに貿易も盛んになり、それと共に中国人の数も増え現在に至っています。
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