ボストンマラソンで起きたテロについて。
幸いにも、私の周りで被害に遭った人はいなかったけれど、
身近な場所で起きた事件ということで、
私なりに、記録させてもらいたいと思います。
4/16(月)
マサチューセッツ州はPatriots' Dayでした。
美咲はお休みでしたが、パパは仕事に行きました。
この日はボストンマラソンが開催される日。
偶然にも、我が家の前がマラソンのコースになっていました。
(前日に知った・・)
あまり関心がなかった私ですが、
当日は朝から、楽器の演奏や歓声が、家の中まで聞こえてきて、
やっぱり心が踊りました・・
楽しそうな声に誘われて、
お昼過ぎに、美咲と二人でマラソンを観に行きました。
歩道には溢れんばかりの観客。
予想以上の盛り上がりに驚きました。
屋台のようなものまで出ていて、お祭り状態でした。


たくさんの歓声の中、次から次へと通り過ぎていくランナーたち。
日本人も何人かいて、
「がんばれー!」と声をかけると、
こっちを向いて手を振ってくれました。
こんなにも歴史のある大きな大会が、
我が家の前を通ってくれるなんて・・・
天気も良く、春らしい日差しで、(ちょっと寒かったけど)
すごく気持ちのいい日でした。
賑やかで、華やかで、
活気と笑顔に満ち溢れている一時でした。
みんなが楽しそうだった。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
ちなみにボストンマラソンとは
・ 毎年4月にアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンで開催される、マラソン大会。
・ 第1回オリンピックの翌年(1897年)に開催され、オリンピックに次いで歴史の古い大会。
・ アメリカ独立戦争が開戦した4月19日を「愛国者の日」とし、それを記念して第1回が開催された。
・ 開催されているマラソン大会開催数では世界一。
・ 誰でも走れるわけではなく、参加には参加資格タイムをクリアしている必要がある。
・ 距離:42.195km
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しばらくすると、美咲が「滑り台行きたい」と言い出したので、
私達はマラソン会場から離れました。
公園に行くと、偶然にもお友達が来ていたので、
一緒にたっぷり遊びました。


私達がのんびりと公園で遊んでいたとき、
Copleyでは爆発が起こっていました。
そのことを知ったのは、パパから安否確認の電話があったためでした。
「なんかコプリーで爆発があったみたい。」
それを聞いても、
「事故かな。」と思うだけでした。
何気なくテレビを点けてみたら、
ただならぬ雰囲気を感じて驚きました。
画面に「Boston Marathon」の文字を見付けて、
見覚えのある風景が映し出されていて、
そしてそれがマラソンのゴール地点だと知り、
大変なことが起きていることにようやく気付いたのでした。
爆発の瞬間の映像が繰り返し流れていました。
画面に次から次へと表示される情報を目で追うのに必死でした。
でも知らない単語が多すぎたし、
記者が話している英語もあまり聞き取れないので、詳しいことがなかなか分からず…
繰り返し流れる爆発の映像を観ているだけで、
もどかしかったです。
もしかしたら、と思い、パソコンでyahooニュースを見てみました。
すると、速報の所に「ボストンマラソンで爆発」との記事が出ていました。
日本でも報道されているのか、と驚きつつ、
事件の詳細を把握することができて、少し安心できました。
その後、LINEからも、ボストンについてのニュースが送られてきました。
近くですごい事件が起きたんだ、と分かったものの、
実感が湧かない、というのが正直なところでした。
その後、ボストンのお友達と、
「大丈夫?」「観に行ってなかった?」など連絡を取り合い、
無事を確認し合いました。
友達から、8歳の子供が亡くなった、と聞かされ、
胸がすごく苦しくなりました。
どうして、よりによって。
しばらくすると、日本の家族、親戚、友達からもメッセージが届きました。
改めて、事件の大きさを実感しました。
その後も情報を集めることに必死で、
気付いたら20時過ぎ。
まだ夕飯できていない・・・という状態でした。
パパは、夜になって動き出した電車に乗って、無事に帰ってくることができました。
翌日のキルト教室はお休みになり、
パパも、職場が閉鎖されるということで、自宅待機になりました。
幼稚園も間違いなく休みになるだろう・・・・と思っていたのですが、
予想が外れて、美咲はいつも通り登園しました。
(中心地から離れているので、まあ大丈夫なんだろうな、と思っていました。)
4/16(火)、
美咲が幼稚園へ行ったので、まさかのパパと二人きり・・・
といっても、パパは部屋で仕事だったので、
ほとんど話さずに終わりました。。
午前中、少し緊張しながらスーパーに行きましたが、
いつも通りに営業していたし、人も多くて、安心しました。
4/17(水)、
お友達の家に遊びに行かせてもらいました。
バケーションウィークで、Publicの学校はお休み・・・ということで、
美咲も幼稚園を休んで参加。
この日もいい天気で、暖かくて、みんなでたっぷり公園で遊びました。

のどかで、平和で、テロがあったことなんて忘れてしまいそうでした。
途中で、「容疑者が逮捕された」という情報が入って、
少し話題にあがったくらいでした。
(誤報でしたが)
何度も言うようだけど、
中心地にさえ近づかなければ、人ごみに行かなければ、
安全なんだろうと、考えていました。
4/18(木)
この日も、お友達と一緒にお出かけ。
いつもと同じように、美咲を幼稚園へ送り、
夕方になったら迎えに行き、帰宅しました。
4/19(金)
朝6時半頃。
パパの携帯の着信音で目が覚めました。
寝ぼけ眼で、私も自分の携帯を見ると、
何やらメールがたくさん来ている。
外ではたくさんのパトカーがサイレンを鳴らして、通り過ぎていくのが聞こえました。
「何かあったんだ。」
直感でそう思い、メールを開いてみると、
幼稚園からのメールがまず飛び込んできました。
"The school will be closed today"
やっぱり、と思いながら、
また何かがあったんだ、ただならぬ何かがあったんだ、と、
怖くなり、一瞬で目が覚めました。
メールには、
Water townがLockoutされていること、
すべての交通が止められていること、
公共の交通機関もsuspend(一時停止)していること、
(容疑者の一人を捜索するため)
などが書かれていました。
リビングに行くと、
パパがテレビを点けていました。
「休みになったの?」と聞くと、
「うん」と。
しばらくテレビを観ていると、
たくさんのことが分かりました。
MITで銃撃戦があったこと、
犯人の一人が捕まったこと、
そしてその後、病院で死亡したこと、
警察官もひとり亡くなっていること、
残りの犯人がWatertownに逃げたこと、
次々に飛び込んでくる情報、全てに衝撃を受けました。
正直、最初の爆発よりも驚きが大きかったです。
Cambridgeも、Watertownも、すごく身近な場所なので。
そしてWatertownには、美咲の幼稚園があります・・・
近くに住んでいる知人に後から聞いた話ですが、
銃撃戦が起きている時は、震えが止まらなかったそうです。
弾丸が壁を突き抜けたお家もあるんだってね・・
↓
http://www.cnn.co.jp/usa/35031150.html
昼間じゃなくて本当に良かった、と何度も思いました。
美咲を危険にさらしたかもしれないし、
自宅待機の指示も出ていたから、 お迎えだって行けなかったと思う。
想像しただけで恐ろしくなりました。
テレビには、
幼稚園のある通りと、近くのモールが、一日中映しだされていました。
そのため、テレビから離れることができませんでした。
銃撃戦の様子を観たときは、とても怖くなりました。
たくさんの銃声が、ずっと鳴り止まなくて。
ドラマや映画なんかよりも、ずっとずっと激しくて容赦なかった。
警官は本当に命を張っているんだ、と、
改めて、その偉大さ、勇敢さに、感動せずにはいられませんでした。
まさかWatertownだなんて、 まさかCambridgeだなんて・・・
考えもしなかったから、本当に驚いてしまいました。
いつどこで、銃撃戦が始まるのか分からない状況だったのに、
そんなことも知らずに外出していたことを、後から考えて怖くなりました。
この日はボストン全体がLockoutされて、
警察や報道の人達以外、外に出てはいけない、と言われていました。
スーパーだって勿論やっていない。
食料はあったけれど、トイレットペーパーが少なくて、冷や冷やしました。
そして、
家に閉じ込められた状態は、精神的にかなりつらかったです。
一日中、パソコンとテレビに張り付いていたおかげで頭は痛くなるし、
慣れない英語を聞き続けることは、かなりの苦痛でした。
(安全な場所にいられたことに感謝しなくてはいけないけれど。)
状況がなかなか変わらないことも、辛かったです。
いつまで続くんだろう?
分からなくて、結構なストレスでした。
翌日に開催予定だったマタニティコンサートも、とうとう中止になりました。
こういう時って、全然食欲が湧かないのですね。
知りませんでした。
この日の夜、犯人は逮捕されました。
私としては、まだ他にも仲間がいるんじゃないか、と安心しきれない思いがありますが、
テレビでは、すっかり祝福モードで盛り上がっているボストン市民が映しだされていました。
犯人捕獲後には、近隣住民が表に出てきて、 警察官に拍手喝采でした。
ボストンコモンという大きな公園では、
みんなが星条旗を持って「U! S! A!」と叫んでいる様子が写っていました。
「Let's go Boston!」なんて声も・・・


なんて単純・・・・じゃなくて正直で明るい人たちなんだろう。
まるでお祭りのようでした。
これから(0時過ぎてる)Openするお店もあるんだそうです。
悲劇の直後によくもこんなに・・と思ってしまうほど、
みんながはしゃいでいました。
日本だったら、まだまだ色んなことを自粛し続けるんだろうに。
というか・・・いくら犯人が捕まったとはいえ、お祝いする気にはなれないよね。
辛いことや怖い事がいっぱいあったんだし。
文化の違いを目の当たりにして、
かなり衝撃的でした。
そして、亡くなった方を思うと、どうしてもかすんでしまいがちでしたが、
怪我をされた方も、とても辛い思いをされているかと思います。
「無事で良かった」、「助かって良かった」、なんて軽く言葉をかけられるほど、
簡単に癒える傷ではないですよね。
深刻で、複雑で、未来に絶望している方も多いかと思います。
今、落ち着いてきて、色んな写真を見返してみて、 そう気付きました。
「それでも私は踊る」 ボストン爆破テロで足を失ったダンス教師
この事件はやっぱり、 多くの人の人生を変えてしまった。
身勝手な人達の個人的な悪意で。
事件後も授業やパーティーに出席 ボストン爆破の容疑者
今回私は、震災の時のように、
自らの命に危険を感じたわけではないし、
家族となかなか会えずに不安を覚えたわけではないし、
不自由な生活をしたわけでもないけれど、
身勝手な人達のせいで、
身近な人たちが危険にさらされた。
毎日出掛ける身近な場所で、命が奪われるほどの恐ろしい出来事があった。
これはやっぱり恐ろしかったし、ショックでした。
「人生何があるか分からない。」
「気を付けていても、どうにもならない事がある。」
改めて、感じました。
忘れてしまいがちな、平穏な日々への感謝。
改めて気付かされました。
そして、
何の罪もない人が巻きこまれてしまった、やりきれなさ。
幼い少年を始め、
多くの方達が犠牲になったこと、
とても胸が痛かった。
たくさんの人達の輝かしい未来が奪われてしまった。
こんなことが許されるのか、と、納得できない思いが溢れてきて、苦しかった。
友達にも言ったけれど、
平和に歳をとりたい。
自分はもちろん、自分の周りにいる人達にも、
平和に、普通に、一緒にいてほしい。
事件も、事故も、病気も、災害も、
無縁でありたい。
もしそれが無理ならば、
充分に、それぞれの人生を全うしてから、訪れてほしい。
そう願わずにはいられません。
もうこんな事件で命を落とす人、傷を負う人がいませんように。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
P.S
私が撮影したボストンマラソンの様子です。
http://youtu.be/1Dxn1iFvo_M
(5/2 追記)
今日、たまたま前を走っていたバス。
メッセージがずっしりきて、思わず写真を撮っちゃった・・

ちなみに、いつもはバスの系統番号が表示されています。
幸いにも、私の周りで被害に遭った人はいなかったけれど、
身近な場所で起きた事件ということで、
私なりに、記録させてもらいたいと思います。
4/16(月)
マサチューセッツ州はPatriots' Dayでした。
美咲はお休みでしたが、パパは仕事に行きました。
この日はボストンマラソンが開催される日。
偶然にも、我が家の前がマラソンのコースになっていました。
(前日に知った・・)
あまり関心がなかった私ですが、
当日は朝から、楽器の演奏や歓声が、家の中まで聞こえてきて、
やっぱり心が踊りました・・
楽しそうな声に誘われて、
お昼過ぎに、美咲と二人でマラソンを観に行きました。
歩道には溢れんばかりの観客。
予想以上の盛り上がりに驚きました。
屋台のようなものまで出ていて、お祭り状態でした。


たくさんの歓声の中、次から次へと通り過ぎていくランナーたち。
日本人も何人かいて、
「がんばれー!」と声をかけると、
こっちを向いて手を振ってくれました。
こんなにも歴史のある大きな大会が、
我が家の前を通ってくれるなんて・・・
天気も良く、春らしい日差しで、(ちょっと寒かったけど)
すごく気持ちのいい日でした。
賑やかで、華やかで、
活気と笑顔に満ち溢れている一時でした。
みんなが楽しそうだった。
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ちなみにボストンマラソンとは
・ 毎年4月にアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンで開催される、マラソン大会。
・ 第1回オリンピックの翌年(1897年)に開催され、オリンピックに次いで歴史の古い大会。
・ アメリカ独立戦争が開戦した4月19日を「愛国者の日」とし、それを記念して第1回が開催された。
・ 開催されているマラソン大会開催数では世界一。
・ 誰でも走れるわけではなく、参加には参加資格タイムをクリアしている必要がある。
・ 距離:42.195km
・ マラソンコース
| ホプキントン ↓ アッシュランド ↓ フラミンガム ↓ ネイティック ↓ ウェルズリー ↓ ニュートン ↓ ブルックライン(我が家がある街) ↓ ボストン 全部で8つの街をぬける。 |
しばらくすると、美咲が「滑り台行きたい」と言い出したので、
私達はマラソン会場から離れました。
公園に行くと、偶然にもお友達が来ていたので、
一緒にたっぷり遊びました。


私達がのんびりと公園で遊んでいたとき、
Copleyでは爆発が起こっていました。
そのことを知ったのは、パパから安否確認の電話があったためでした。
「なんかコプリーで爆発があったみたい。」
それを聞いても、
「事故かな。」と思うだけでした。
何気なくテレビを点けてみたら、
ただならぬ雰囲気を感じて驚きました。
画面に「Boston Marathon」の文字を見付けて、
見覚えのある風景が映し出されていて、
そしてそれがマラソンのゴール地点だと知り、
大変なことが起きていることにようやく気付いたのでした。
爆発の瞬間の映像が繰り返し流れていました。
画面に次から次へと表示される情報を目で追うのに必死でした。
でも知らない単語が多すぎたし、
記者が話している英語もあまり聞き取れないので、詳しいことがなかなか分からず…
繰り返し流れる爆発の映像を観ているだけで、
もどかしかったです。
もしかしたら、と思い、パソコンでyahooニュースを見てみました。
すると、速報の所に「ボストンマラソンで爆発」との記事が出ていました。
日本でも報道されているのか、と驚きつつ、
事件の詳細を把握することができて、少し安心できました。
その後、LINEからも、ボストンについてのニュースが送られてきました。
近くですごい事件が起きたんだ、と分かったものの、
実感が湧かない、というのが正直なところでした。
その後、ボストンのお友達と、
「大丈夫?」「観に行ってなかった?」など連絡を取り合い、
無事を確認し合いました。
友達から、8歳の子供が亡くなった、と聞かされ、
胸がすごく苦しくなりました。
どうして、よりによって。
しばらくすると、日本の家族、親戚、友達からもメッセージが届きました。
改めて、事件の大きさを実感しました。
その後も情報を集めることに必死で、
気付いたら20時過ぎ。
まだ夕飯できていない・・・という状態でした。
パパは、夜になって動き出した電車に乗って、無事に帰ってくることができました。
翌日のキルト教室はお休みになり、
パパも、職場が閉鎖されるということで、自宅待機になりました。
幼稚園も間違いなく休みになるだろう・・・・と思っていたのですが、
予想が外れて、美咲はいつも通り登園しました。
(中心地から離れているので、まあ大丈夫なんだろうな、と思っていました。)
4/16(火)、
美咲が幼稚園へ行ったので、まさかのパパと二人きり・・・
といっても、パパは部屋で仕事だったので、
ほとんど話さずに終わりました。。
午前中、少し緊張しながらスーパーに行きましたが、
いつも通りに営業していたし、人も多くて、安心しました。
4/17(水)、
お友達の家に遊びに行かせてもらいました。
バケーションウィークで、Publicの学校はお休み・・・ということで、
美咲も幼稚園を休んで参加。
この日もいい天気で、暖かくて、みんなでたっぷり公園で遊びました。

のどかで、平和で、テロがあったことなんて忘れてしまいそうでした。
途中で、「容疑者が逮捕された」という情報が入って、
少し話題にあがったくらいでした。
(誤報でしたが)
何度も言うようだけど、
中心地にさえ近づかなければ、人ごみに行かなければ、
安全なんだろうと、考えていました。
4/18(木)
この日も、お友達と一緒にお出かけ。
いつもと同じように、美咲を幼稚園へ送り、
夕方になったら迎えに行き、帰宅しました。
4/19(金)
朝6時半頃。
パパの携帯の着信音で目が覚めました。
寝ぼけ眼で、私も自分の携帯を見ると、
何やらメールがたくさん来ている。
外ではたくさんのパトカーがサイレンを鳴らして、通り過ぎていくのが聞こえました。
「何かあったんだ。」
直感でそう思い、メールを開いてみると、
幼稚園からのメールがまず飛び込んできました。
"The school will be closed today"
やっぱり、と思いながら、
また何かがあったんだ、ただならぬ何かがあったんだ、と、
怖くなり、一瞬で目が覚めました。
メールには、
Water townがLockoutされていること、
すべての交通が止められていること、
公共の交通機関もsuspend(一時停止)していること、
(容疑者の一人を捜索するため)
などが書かれていました。
リビングに行くと、
パパがテレビを点けていました。
「休みになったの?」と聞くと、
「うん」と。
しばらくテレビを観ていると、
たくさんのことが分かりました。
MITで銃撃戦があったこと、
犯人の一人が捕まったこと、
そしてその後、病院で死亡したこと、
警察官もひとり亡くなっていること、
残りの犯人がWatertownに逃げたこと、
次々に飛び込んでくる情報、全てに衝撃を受けました。
正直、最初の爆発よりも驚きが大きかったです。
Cambridgeも、Watertownも、すごく身近な場所なので。
そしてWatertownには、美咲の幼稚園があります・・・
近くに住んでいる知人に後から聞いた話ですが、
銃撃戦が起きている時は、震えが止まらなかったそうです。
弾丸が壁を突き抜けたお家もあるんだってね・・
↓
http://www.cnn.co.jp/usa/35031150.html
昼間じゃなくて本当に良かった、と何度も思いました。
美咲を危険にさらしたかもしれないし、
自宅待機の指示も出ていたから、 お迎えだって行けなかったと思う。
想像しただけで恐ろしくなりました。
テレビには、
幼稚園のある通りと、近くのモールが、一日中映しだされていました。
そのため、テレビから離れることができませんでした。
銃撃戦の様子を観たときは、とても怖くなりました。
たくさんの銃声が、ずっと鳴り止まなくて。
ドラマや映画なんかよりも、ずっとずっと激しくて容赦なかった。
警官は本当に命を張っているんだ、と、
改めて、その偉大さ、勇敢さに、感動せずにはいられませんでした。
まさかWatertownだなんて、 まさかCambridgeだなんて・・・
考えもしなかったから、本当に驚いてしまいました。
いつどこで、銃撃戦が始まるのか分からない状況だったのに、
そんなことも知らずに外出していたことを、後から考えて怖くなりました。
この日はボストン全体がLockoutされて、
警察や報道の人達以外、外に出てはいけない、と言われていました。
スーパーだって勿論やっていない。
食料はあったけれど、トイレットペーパーが少なくて、冷や冷やしました。
そして、
家に閉じ込められた状態は、精神的にかなりつらかったです。
一日中、パソコンとテレビに張り付いていたおかげで頭は痛くなるし、
慣れない英語を聞き続けることは、かなりの苦痛でした。
(安全な場所にいられたことに感謝しなくてはいけないけれど。)
状況がなかなか変わらないことも、辛かったです。
いつまで続くんだろう?
分からなくて、結構なストレスでした。
翌日に開催予定だったマタニティコンサートも、とうとう中止になりました。
こういう時って、全然食欲が湧かないのですね。
知りませんでした。
この日の夜、犯人は逮捕されました。
私としては、まだ他にも仲間がいるんじゃないか、と安心しきれない思いがありますが、
テレビでは、すっかり祝福モードで盛り上がっているボストン市民が映しだされていました。
犯人捕獲後には、近隣住民が表に出てきて、 警察官に拍手喝采でした。
ボストンコモンという大きな公園では、
みんなが星条旗を持って「U! S! A!」と叫んでいる様子が写っていました。
「Let's go Boston!」なんて声も・・・


なんて単純・・・・じゃなくて正直で明るい人たちなんだろう。
まるでお祭りのようでした。
これから(0時過ぎてる)Openするお店もあるんだそうです。
悲劇の直後によくもこんなに・・と思ってしまうほど、
みんながはしゃいでいました。
日本だったら、まだまだ色んなことを自粛し続けるんだろうに。
というか・・・いくら犯人が捕まったとはいえ、お祝いする気にはなれないよね。
辛いことや怖い事がいっぱいあったんだし。
文化の違いを目の当たりにして、
かなり衝撃的でした。
そして、亡くなった方を思うと、どうしてもかすんでしまいがちでしたが、
怪我をされた方も、とても辛い思いをされているかと思います。
「無事で良かった」、「助かって良かった」、なんて軽く言葉をかけられるほど、
簡単に癒える傷ではないですよね。
深刻で、複雑で、未来に絶望している方も多いかと思います。
今、落ち着いてきて、色んな写真を見返してみて、 そう気付きました。
「それでも私は踊る」 ボストン爆破テロで足を失ったダンス教師
この事件はやっぱり、 多くの人の人生を変えてしまった。
身勝手な人達の個人的な悪意で。
事件後も授業やパーティーに出席 ボストン爆破の容疑者
今回私は、震災の時のように、
自らの命に危険を感じたわけではないし、
家族となかなか会えずに不安を覚えたわけではないし、
不自由な生活をしたわけでもないけれど、
身勝手な人達のせいで、
身近な人たちが危険にさらされた。
毎日出掛ける身近な場所で、命が奪われるほどの恐ろしい出来事があった。
これはやっぱり恐ろしかったし、ショックでした。
「人生何があるか分からない。」
「気を付けていても、どうにもならない事がある。」
改めて、感じました。
忘れてしまいがちな、平穏な日々への感謝。
改めて気付かされました。
そして、
何の罪もない人が巻きこまれてしまった、やりきれなさ。
幼い少年を始め、
多くの方達が犠牲になったこと、
とても胸が痛かった。
たくさんの人達の輝かしい未来が奪われてしまった。
こんなことが許されるのか、と、納得できない思いが溢れてきて、苦しかった。
友達にも言ったけれど、
平和に歳をとりたい。
自分はもちろん、自分の周りにいる人達にも、
平和に、普通に、一緒にいてほしい。
事件も、事故も、病気も、災害も、
無縁でありたい。
もしそれが無理ならば、
充分に、それぞれの人生を全うしてから、訪れてほしい。
そう願わずにはいられません。
もうこんな事件で命を落とす人、傷を負う人がいませんように。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
P.S
私が撮影したボストンマラソンの様子です。
http://youtu.be/1Dxn1iFvo_M
(5/2 追記)
今日、たまたま前を走っていたバス。
メッセージがずっしりきて、思わず写真を撮っちゃった・・

ちなみに、いつもはバスの系統番号が表示されています。