
年を取っても「感」失わなかったら・・・
グループBIGBANGのリーダーと同時に YGエンターティンメントのプロデューサーであるG-DRAGON(25・ 本名權志龍)が音楽部門で2年連続パワーリーダーに選ばれた。
1月16日マレーシア クアラルンプールで開かれた '第27回ゴールデンディスク授賞式' でG-DRAGONが4冠王になった。ceci人気賞・音源本賞(ソロ曲 'CRAYON'・BIGBANG 'FANTASTIC BABY' )・MSNインタ-ナショナル賞だ。音源本賞を受賞した2曲すべてG-DRAGONが作詞・作曲に参加した。彼は「嘘」「一日一日」「Tonight」のようなBIGBANGの多くのヒット曲が120曲を超え、1年に10億ウォン以上の著作権収益をあげることでも知られている。
G-DRAGONは直接曲を作ってプロデュースする能力を兼ね揃えた、数少ないアイドルの中の一人だ。世の中の悩みをすべて背負ったように眉間をしかめた表情と舞台の上で観客を挑発する姿が、時には「いじっぱり」に映るが、G-DRAGONは言う。「僕は音楽をやるだけ」と。大衆の支持が彼の言葉に力を加えてくれる。2009年8月リリースした始めてのソロアルバム 'Heartbreaker' はその年ソロアルバムの中で一番たくさん売れた。3年ぶりに出たアルバム 'One Of A Kind' は発売1月余で17万1512枚が売れて、アルバムチャート1位に上がった。G-DRAGONがすべての曲の作詞・作曲に参加したこのアルバムはアメリカ 'ビルボード200'のアルバムチャート161位に進入した。
彼の所属するBIGBANGはForbes Koreaが選定した 'K-popパワーセレブリティ10' '2012コリアパワーセレブリティ40' でそれぞれ1・2位に上がった。去年ある証券会社のアナリストはBIGBANGの一日の輸入が 2億ウォンだと分析もした。G-DRAGONはTwitterの中でフォロー数が10番目に多い。特別なファッション感覚もあってブランド業界からもラブコールを受ける。文化のトレンドを導くG-DRAGONに電話でインタビューした。彼はゴールデンディスク授賞式が終わるやいなやロンドン行の飛行機に乗った。
ロンドンにはどうして行ったのか
「休暇で来た。フランスにも立ち寄るつもりだ。」
2年連続 ’2030 パワーリーダー’ に選定されたが
「良くされている方々が多いのに選んでくださって気分が良い。もっと一生懸命にしなくちゃいけないと言う気がする。」
現地時間で1月18日午後10時20分、時差のためか声がかなりかすれていた。質問に短く答えた彼は時間が経つに従って少しずつ音楽に対する考えを解いた。口調は思ったより物静かだった。自分の意見を出す時は「まだ幼いが」「行く道が遠いが」「恥ずかしいが」のような前置きをしては、話す前に充分な時間を置いた。
アイドル歌手を超えてアーティストだと評価を受ける。自分の音楽的な強みは何だと思うか
「まずアイドルと音楽家・演奏者すべてアーティストだと思う。それぞれ自分が得意な事を大衆にお目見せするという点で同じではないか。韓国は特にアイドルとアーティストを区別するみたいだ。良い評価を受ける理由は幼い友達が自分の色がある音楽をすれば、もうちょっと支持してくれるのではないかと思う。人が与える音楽。作ってくれるイメージではなく僕が僕を表現するから。」
音楽をするようになったきっかけは何か
「小学校4年生の時親しい友達の家へ行って、アメリカのヒップホップ歌手Wu-Tang Clanの 'C.R.E.A.M.'を聞いた。韓国の歌手たちの歌と踊りを真似るのが全部だったのに、外国歌手の CDを聞いて衝撃を受けた。あの時から友人達といたずらに歌詞を書いてラッパーを夢見た。」
彼は2006年BIGBANGでデビューしたが、芸能界に足を踏み入れたのはずっと前だ。幼い頃からG-DRAGONの'気'を認める目が多かった。MBCポポポに出演した 'チビジヨン' をRoo’Raのイ・サンミンがスカウトして一年の間 'ちびっこルーラ'で活動した。チームが解散された後、スキー場のダンス大会で 1位を取り、イ・スマン SMエンターテイメント会長の目に留まった。5年ほど SMで練習生生活をして、ヤン代表がG-DRAGONのお母さんがトイレへ行った隙に 「無条件で YGに行くと駄駄をこねなさい」と言ったエピソードは有名だ。そうして YGで6年間練習生を経て、BIGBANGで派手にデビューした。
最近はどんな音楽を聞くか
「毎日聞くアルバムがある。Trinidad Jamesというラッパーだ。」
どんなとこにハマったのか
「ラップを始めてから1年位しかならない歌手なのに、身についたような音楽をしていて好きだ。最近流行りのエレクトロニックや洗練された音楽ではなくて、荒いサウンドで良い。初めて洋楽に接した時に似ている。」
G-DRAGONはこのインタビューで曲を書く度に新しくなければならないという強迫観念に苦しむと言ったことがある。彼は以前、歌を聞きながら好きな自分を見ながら少しずつ変化を感じると言った。
歌手1TYM Teddyが人生のMentor
人間 '權志龍'と舞台の上の 'G-DRAGON' はどんな風に違うか
「見たままだ。まだ幼いけど人生の半分を舞台で過ごした。舞台では誰より自信感があるからそれが現われるのだ。芸能じゃない日常生活では僕がコメディアンより笑わせたり、誰よりもましなとこがないから、恥ずかしくて弱いとこが見えるので。」
平凡ではない人生を暮しているね 一番大変な時は
「創作の苦痛だと言うには恥ずかしい僕だけど、誰でもそんなことがあると思う。ヒット曲をたくさん書いたからと言って、苦痛が減るとか増えるとかじゃない。アンダーグランドの歌手。今心の中の思いを外に表現するのはすごく難しいからだ。やればやるほど、もっと苦しいけど曲を好んでくれるファンを見れば大変だった記憶が嘘のように消える。」
role modelがいるか
「幼い頃からTeddy兄さん(1TYM Teddy)にたくさん学んだ。BIGBANG・G-DRAGONのアルバムはすべてTeddy兄さんの諮問と確認を経た。音楽的な手本は多いけど、一番近くで毎日会う兄さんは人生にも多くの影響をくれるMentorだ。」
時間が出来た時は何をする
「こうして過ごす。外国を旅行するほうが良い。休息を取って音楽的インスピレーションを受ける。仕事のため外国に行った時、異国的な文化と風景が多くてインスピレーションを与えてくれていたよ。」
彼は映画のセリフ、一つの文章から多くの感情を感じて、出来事と対話(? )してインスピレーションを得ると明かしたことがある。
音楽的に成したい事があれば
「ジャンルを分けないで良い音楽が出来たら良いだろう。一番難しいけど大きな目標だ。G-DRAGON・BIGBANG・YGだからと言って音楽を聞いてくれるのはイヤだ。どの場所で誰が歌っても、歌が良いから聞く音楽がやりたい。元々の性格が夢を決めておいて生きる方ではない。大きな焦りもなく、永くやりたいようにしたい音楽しながら暮すのが一番幸せみたいだ。あ、 年を取っても'感'を失わなければ良いだろう。」
暗に'製作者をする考えがないか'と問うと彼は 「一度も考えて見た事がない。」 そう答えた。ある放送プログラムで第2のイ・スマン・ヤン・ヒョンソク・パク・ジンヨンとして成功するアイドル1位に選ばれたが、彼は '恐ろしい'と言った。「ヤン社長(ヤン・ヒョンソク代表)を十数年の間見てきたけど、ビジネスをする人は別にいるようです。僕がビジネスをすると言ってもヤン社長の手の中じゃないでしょうか(笑)。音楽をやる人は音楽をする時が一番カッコイイじゃないですか。その後を支えるビジネスパートナーがいればもっと良いですよね。」
しばらく考えたG-DRAGONが 「もし事業をするようになったら・・・」とまた話し始めた。「文化やファッションに関心が高くて、心当たりの友達がいれば何かやって見たいとは思います。」G-DRAGONは自他が公認するファッショニスタだ。新しいアルバムが出る度に、スタイルが音楽に劣らない大きな関心を引く。
製作者よりファッション事業に関心
一番幸せだった瞬間はいつか
「今も幸せだ。人間だから僕が受ける多くのことに慣れたように思う時がある。その度に幸せの責任を負わなければならないという負担が生まれる。練習生の時は音楽一つだけ見て一生懸命にやったけど、どの瞬間もっと遠い所を眺めていたよ。練習生の時が幸せだった。」
G-DRAGONにとって音楽とは?
「う~ん・・・ 音楽というのは・・・ 音楽はまぁ・・・音楽はただ音楽だ。その以上でもそれ以下でもない。いつも聞けば楽しく癒し受けることができる。赤ちゃんが歌っても、チョ・ヨンピル先輩が歌っても聞いた時 'あ~良いな' と思えば良い音楽だということだ。僕もそんな音楽をやるために努力するだけだ。音楽の中に多くのメッセージを盛ることも良いけど、バスで音楽が流れ出る時その瞬間の良い記憶になれたら。そんな音楽のことだ。」
G-DRAGONはすぐ帰国してBIGBANGのワールドツアーコンサート韓国アンコール公演に参加する計画だ。4月には単独でワールドツアーに出る。YGエンターテイメント側は 「日本主要都市からスタートして、海外各国に出る予定」とし「福岡・埼玉・大阪の三つの都市で行うため、予想観客数は総23万名」と明かした。