今この瞬間でも、私はますますもっとうまくなりたい
私が外見による見られ方はずいぶん荒っぽいイメージのようだが、実際は考える事も多くて悩みも多いちょっと弱いスタイルだ。「私は何がうまく出来るのか」「私がちゃんとやっていることは正しいのか」という思いに一度落ちれば、ずいぶん長い間その悩みにはまり込むほうだ。
最近ではなるべくそんな考えをする時間を減らそうと努力している。大切な若い時期に1~2か月もそんな考えにはまり込む事は贅沢だと結論を下したからだ。私自身を信じてみる方が先だ。
「私はこんな人間だ」と何かを決めつけない方がいい。どこにも固まった‘私自身’というものはない。私はただ私がなりたいように作っていく。人間が持つ欲の中には良くない物もあるが、本当の欲は「私がなりたいように私を作っていくこと」だと思っている。
幼かった頃良くない事もたくさん経験してみたが、そんな経験のせいでむしろ果敢に難関にぶつかっていける‘カン’が生まれた。何より「私はとても不足しているみたいだ」という幼稚な悩みは禁物だ。ただ自分を冷静に省みて足りない物があるのなら直していくようにもっと努力すればいい。
私には一種の偏執症がある。冷蔵庫を開けてみたら、そこに牛乳とか豆乳みたいなものが一方向に向かってラベルが見えるようにきちんと整列していれば、なぜかわからない喜びを感じる。私の趣味がフィギュアを集めることだが、プラスティックで作られた‘完璧な’製品がきちんと置かれているのを見れば気分が良くなる。やはり芸術分野の仕事をする人たちは、そんな気質が少しずつあるようだ。一日が辛くて時々寂しく感じられても、私の部屋に帰ってきてそうして整頓されたフィギュアを見ていれば慰められる。そしてそれらのように私をもう一度整頓して引き締めたりする。
少し前に母と長い時間話をしている中に、小説家だった母方のおじいさんの話が出てきた。母は「お前はお前のおじいさんと似た点が多いみたいだ。」と言われた。母方のおじいさんのお名前は‘ソ・グンベ’。私のように言葉数が少なく長く考えてからお話されたりした。≪港≫などのさまざまな方面の小説を書かれて、映画<八道山河>の脚本を書かれる等、内面の世界を文章で表現していくこと以外には、外で内心をうまく表現しない性格が私と似ているようだ。
世間と妥協したり社会に準ずる事にはさほど関心がなかったおじいさんだったが、家族たちを大事にする気持ちだけは本当に温かかった。幼い時期におじいさんと長い時間を過ごしてその温かさを味わったからだろうか、私にはおじいさんがとても良い友人だと思われた。
<Hello>のミュージックビデオを撮る3週間前の事だった。ビッグバンが大衆的に多く知られてもいなかったし、<嘘>の発表を控えていた時期なので「私たちが果たしてうまくやれるのだろうか?」と苛立ちが出てきた時だった。私はやはり変わってなかった。‘歌手として私のアイデンティティ’に対する悩みも多かった。
当時おじいさんはとても具合が悪かった。けれど駆け付けてお目にかかりたくても忙しいスケジュールの為に、気持ちのようには行くことが出来なかった。そんなある日、母を通じて連絡が来た。おじいさんが危篤だという伝言だった。万事をおいて病院に駆け付けた。
おじいさんは話をされることが出来ないほど病状が悪化していた。なぜだろうかご自身も‘今日’を越すことが出来ないという事を知っておられたようだ。おじいさんは必死にご自身の思いを文章で伝えられた。
「スンヒョン、お前のサインをしておくれ。」
おじいさんがおっしゃられた通りサインをしたが、胸がとても苦しくなった。おじいさんは震える手を取り私のサインのそばにおじいさんのサインを書かれた。そしてもう一度その下に最後の力を尽くして文章を書いていかれた。
「スンヒョン、お前のこのサインは私が死んでも生涯最後の記憶として持っていくだろう。だからお前の夢を必ず成し遂げてくれ。私が貰ったこのサインが本当に価値のあるものになるように、そんな孫のスンヒョンになってくれたらいいのだが。」
私はおじいさんの手を包んだまま止めどなく涙を流した。それはおじいさんの最後の遺言であると同時に、私に与えることのできる最高の贈り物であり激励だった。その時からどんな事に対してもさらに意欲を出したようだ。いつでも辛いことがある度に、おじいさんを思っている。今でも私の心の中にはおじいさんが生きておいでになる。
