大人には大人の役割、子供には子供の役割がある
イテウォンに直接訪れてヒップホップの衣料品店でアルバイトを始めた。ヒップホップ音楽に思う存分浸れることが出来て好きな洋服を見ることが出来る事だけでも良かった。そこで「直接商売を経験しながら横目で経営に手を出すことを学べたら、あとで私の夢だったヒップホップマルチショップをやるときも助けになるんじゃないのか?」そんな漠然とした考えで始めた。
ところが何ヶ月もならずに「私が思うほど簡単なことではないな」という結論に達した。そんな事を大人たちがする時にはみんなそんな理由があるのだろう。精神的にもショックを受けることが多かったけれど、何より肉体的にも大変だった。
販売するためには外へ出てお客さんたちを集めなければならなかった。社長の望みどおり手段と方法を選ばないで‘いっぱい’売らなければならないためだった。夕方7~8時に仕事が終われば、明け方市場に行って直接品物を買って来なければならなかった。そして明け方3~4時にまた店で全商品をすべて整理した。仕事が満足に出来なければ悪口を言われるだけではなく、冗談半分本気半分で殴られることもあった。当時子供にはかなり高額な4万ウォンほどの日給だったけれど、社長はそれまでも「子供のくせになんてお金に目がないんだ」とこっそり踏み倒されもした。
もちろん生計のために始めた事ではなかった。幼心に欲しいものを買いたくてその世界を見たくてかっこよさで始めた事だったけれど、思うほど簡単なことではなかった。苦さだけ見て店を辞めた。
その時からラップを本格的にやり始めた。「ヒップホップマルチショプがダメなら、ラッパーの道を行こう」と思ったのだ。当時はとても幼くて不安になることもなかった。私がやりたいことを始めれば何でもうまくやれるようだった。
まず始めに公演をしたくて一人であちこちを探し回った。知っている人が特にないので限界もあった。当時ヒップホップクラブではDJたちの人気が高かったが、当時Issueになったヒップホップ音楽を一番多く知っている人たちだった。私より5歳年上だったDJディーメーカー(D-maker)兄さんを通じて、周りでラップをやる人たちと会ってゲストメンバーとして活動したり、お互いにジョイント公演をしたりした。私に新しい世界が開かれ始めたのだ。
