人生はいつも私の希望のドアをノックする
インターネットサーフィンをしていて偶然に「カン・デソン、君の変身の終わりはどこだ?」というタイトルの文章を見たことがある。ビッグバンの活動から始まってトロット(演歌)、バラエティー、ミュージカル、音楽番組のMCなどに挑戦する私に対して‘変身’という単語で評価した文章だった。
飛んで行きたいような気分だった。多様な活動が私の能力にふさわしくない無謀な挑戦ではなく、多彩な変身に見えるなんて!その間の努力が無駄でなかったと思うとやりがいも感じた。
率直に告白すれば、私には悪い癖がひとつある。問題が生じた時、周りの人たちに助けを求めればすぐに解決できることも1人で解決してみようと呻き続けることだ。結局問題が大きくなるだけ大きくなって、収拾がつかない状態になってから、仕方なくSOSを要請したりする。他の人に迷惑をかけることになってはいけないと一種の強迫観念のようなものがあって、いつも1人で問題を抱えては事態を悪化させるということだ。
<ファミリーがやってきた>、<Cats>、<ショー!音楽中心>に同時に出演した時もそうだった。スケジュールが多いので体力的にも精神的にも限界に直面したが、誰にも話すことが出来ず1人で呻き続けていた。小さな結晶程度だった問題が雪だるまほどの大きさに広がる経験をしてからは、この癖を直そうと努力中なので本当に未熟だということだ。
いろいろな種類の活動をすれば、時間が足りずあれやこれや困難がついてくるものだ。どんなに睡眠を減らしても時間が絶対的に足りないせいで、いらいらして腹が立つ時が1度や2度ではなかった。「なんで1日は24時間しかないんだろう?」と話にならない恨み事を言う時もあった。特に<Cats>を準備する時は練習時間がとても足りなくてスケジュールを管理する室長に「練習しないでどうやって公演するんですか?練習する時間をくれませんか!」と言って抗議することもあった。
言葉を発したその瞬間から後悔が押し寄せた。忙しいスケジュールは明らかに知っていながらミュージカルに欲を出したのは私だから、他の人のせいにするなんて、申し訳ない気持ちで身の置き場がなかった。
けれどもその当時は気持が焦っていた。やるべき仕事は多いのに時間は足りなかったので、出来る事なら他の人の時間さえも借りたい心情だった。一生懸命やりたいという意欲を持って挑戦した分野なのに、結局私の度が過ぎる欲で全部失敗するんじゃないか、私のせいで他の人たちに被害を与えるんじゃないかと心配になった。
ご飯を食べる時間も減らし、寝る時間も減らして、なんとかして絞り出せる時間は全部絞り出して練習に臨んだ。‘時間’との戦いは苦労したが、だからと言って時間だけのせいにして座っていることは出来ない職業だった。
今もやりたいことがとても多い。成し遂げたい夢が多い。そして間違いなくその夢が成し遂げられるだろうと信じている。しかし大変だとここで休んでしまえば、それは私の夢たちに対する礼儀ではない。吐き出す息遣い一つ、踏み出す歩み一つに夢に向かっていると信じる心を植え付ける。
だから私は今日も笑う。希望を手放す瞬間絶望が残るが、希望を抱く瞬間奇跡が起こると思わないか。人生はいつも私たちの希望のドアをノックしている。
