微笑天使カン・デソン、私を作ってくれた生涯の本
私が‘生涯の本’を選ぶなら、断然ジョエル・オースティン(Joel Austin)の≪肯定の力≫だ。この本を書いたジョエル・オースティン牧師様は、とてもよく笑うので‘笑う牧師(the Smiling Preacher)’というニックネームを持っていたという。その事実を知った瞬間から、一度も会ったことがない方なのになぜか分からない親しみと同質感が感じられた。私の口から言うのは恥ずかしいが、私のニックネームも‘微笑天使’ではないか。
人々が期待するカン・デソンは肯定的で明るいキャラクターだが、実際私が見る私の姿は暗くてうっとうしい面も多い。特に良くない事が起きたり、ミスが起きれば自分を責めるスタイルなので、ピリピリしていて誰もそばに近づけない程冷淡な時もある。
デビュー当初、声帯結節で苦しかった時は特にひどかった。喉の状態がめちゃくちゃなので舞台でいわゆる‘ピクサリ(声が裏返ること)’を起こすことも多かったし、そんな日は誰も私に近づくことも出来なかった。後から人々に聞いてみると、とても話しかける事など出来ないほど、暗い影が私の周りを包んでいたと言う。自分に対する怒りを抑えることが出来なくて、手がつけられない姿がそれほど暗い雰囲気を作っていたようだ。その時はほかの人の気持ちを考える余裕がなかった。それほど私に対して失望と怒りのせいで、極度に挫折した状態だった。私自身も耐えられることの出来ない感情に包まれて、目を閉じて口を閉ざして、果てしない挫折の奈落に落ちるばかりだった。そのときの私は‘微笑天使’よりも、‘角の生えた牡牛’のようだった。
しかし大衆から見た私はいつでも愉快で肯定的だ。デビュー当初はそんな違いのせいで苦労した。‘人々に映る私の姿が偽りではないか’という悩みまで生まれた。けれども悩みは長くは続かなかった。周りからあまりに明るい子供だと思って頂いていたら、いつのまにかそんな評価に自分が同化していったのだ。良くないことがあっても、「肯定するのがカン・デソンなのに、こんな事でがっかりしてはダメ」と言って、マインドコントロールをして解決していった。‘私が思う私’より‘人々が思う私’に焦点を合わせてみたら、自然とそっちに私を合わせていったということだ。
楽しい人になりたい。私によって人々が幸せになることが出来なくても、最小限気まずくならないならいいな。いや、幸せになるようになればいいな。ジョエル・オースティン牧師様が多くの人々に希望と意志を広めたように、私自身が‘肯定ウイルス’になって人々に笑いを与えたい。それが私にとても多くのことを教えてくれた人たちに応えることが出来る幸せなことだからだ。
