私にとって一番大切な慰め、‘大丈夫になるから!’
うちの姉さんは私の精神的な支えであり頼もしい支援軍だ。歌手になりたいということが、単純に芸能人の派手な外見を望んだのではなく、‘弟が本当にやりたい仕事’だという事実を唯一理解してくれた家族だ。
お父さんとの冷戦に疲れたり意気消沈した日には、姉さんは決まって私の部屋を訪ねてきて「大丈夫だ」といって慰めてくれた。姉さんのその「大丈夫だ」という言葉はすごく強引なふうでもなく大袈裟でもなく、本当に静かで温かく勇気を奮い立たせる言葉だった。おかげで最近でも大変な時ごとにまるで姉さんがそばでささやくように小さく慰める声が聞こえる。
「大丈夫。少しだけ我慢して。もうすぐ全て大丈夫になるから。」
実際は小学校に通う時期だけでも、姉さんと私は本当に不倶戴天の敵だった。どちらが先にという事なく、目さえ合えば打ち取るまで戦うのが日課であるほどに仲が良くなかった。いつか大事に食べようと干し柿を隠しておいたのに、どうして分かったのか姉さんが探し出してしまった。後からこの事実を知る事になった私はまたしても姉さんと肉弾戦に突入した。
姉さんと無我夢中で戦っていると、興奮して思わずパンチの力加減を失敗する時があった。男友達とケンカする時のように‘まともに’1発くらわせることになる。それでも姉さんだから、それでも女だから、姉さんの涙に申し訳ない気持ちがしてそのまま殴られ始めた。姉さんは痛くて泣いて、私は力加減が出来ない罪でずっと殴られなきゃいけない悔しい気持ちに泣いて、二人で一緒に家出するように泣いた記憶がある。
そのように一時は世界で一番憎い人だったのに、今では最も愛する人の中の1人になった。私が何をしようが100パーセント信じて支持してくれる人、辛いことがあれば一番最初に助言を求める人だからだ。
おまけに姉さんは勉強まで得意で、ご両親が私に対する勉強への未練を早々に引っ込められたし(ハハ!)私が行きたかった道を行くことができるように助けてくれた。実際私も数学の関数を教わる前までは勉強が楽しくて成績も大丈夫だったのに、その殺すべきやつ(?)の関数以降、勉強とは同じ道を行くことはない仲になった。とにかく我が家の長男のような姉さんのおかげで個人的には多くの事を得たという事は明らかだ。
お父さんにも感謝申し上げる。一時は私を苦労させたお父さんだったが、その‘お父さんの反対がなかったなら’今日のテソンは存在しなかっただろう。お父さんが最初から積極的に支援して下さっていたら、ひょっとしたらすぐに音楽への興味を無くしてだいたいやりかけで終わった確立も高い。むしろ冷たく冷静に接していただいたせいで、歯を食いしばって最後まで緊張を緩めずにいられた。
