肯定本能 テソン#2
スマイルボーイ カン・デソン
信頼の種を蒔く
まだ、痛いからと座り込むには あまりに早い
実際私の練習生生活は“歌”というたった一つの可能性で始まったのだ。
他のメンバーたちよりも遅く始めたというハンディキャップがあったので、彼らに迷惑をかけないためにも、さらに多くの努力をしなければならなかった。歌を歌っては、また歌った。そんなに練習したら喉を痛めるという周りの心配が負担で、公式練習時間以外は衣裳部屋に隠れて歌を歌った。
とても欲張ったからなのだろうか? ついに破裂は起きた。3枚目のシングルアルバムの録音を目の前にして、声帯結節になったのだ。
デビューして間もない上に、実力派グループというイメージが強く、私によってビッグバン全体がダメージを受けるのではと思うと心配だった。
幸い舞台ではぴょんぴょん跳びまわる他のメンバーたちの助けで、大きな問題なく乗り切れたが、私の歌の70パーセント程度はいわゆる“音が外れる”事があるほど、ますます喉の状態が悪くなった。ところが問題は一度の失敗がより大きな失敗を呼ぶというところにあった。舞台に立てば前回の失敗を思い出して、同じ失敗を繰り返してペースを失ってあたふたする状況が繰り返され始めたのだ。長いスランプの開始を知らせる前奏曲だった。
「あの舞台をどれほど夢見たことか・・・。私の声で歌を歌う事をどれほど望んだか・・・。いざ段取りしてもらっても、実際声が出ないなんて・・・。」
ゆううつで気が狂いそうなほどだった。
「すごく一生懸命にやってみたらそうなったんだから、次はうまくやれるだろう。」と周りの人々の慰めも効果がなかった。最後の戦いを控えた将軍のように、私には‘次’というチャンスはなさそうだった。この世界に一生懸命にやる人はとても多い。だがこの場所は‘最善’ではなく‘最高’を望むプロの世界だ。だが、歌手が声が出ないというのは、戦場に出て行った将軍の手に矛と盾がないのと同じだ。
その上、目の前には録音というさらに大きな山が待ち構えていた。私の初めてのソロ曲<笑ってみる>を録音する当日、薄情な私の声帯は最悪のコンディションに落ちた。病院で治療できる方法を総動員させて治療を受けたが、何の効果もなかった。足を得るために声を失った人魚姫とは反対に、思い通りの声を得ることが出来るなら、どんなことでもしてしまいそうな心情だった。
もどかしい私の姿をそばで見守っていたコミ姉さんが助けに乗り出してきた。
コミ姉さんも声帯結節を経験したことがあったので、喉に負担がかからないラインで録音が出来るように助けてくれたのだ。
「どんなにか待ったソロ曲なのに、私1人のためにこんなに多くの人々が苦労してるのに・・・どうして歌手が喉をこんなにまでめちゃくちゃな管理をすることができるんだろうか・・・。」
遅すぎる後悔と自責の念が押し寄せた。「これでまったく声が出なくなったどうしよう」、「もう一度歌を歌う事が出来なかったらどうしよう」という思いでいっぱいになった。心配する人々には何でもない姿を見せたかったが、何度も涙が出そうになった。
そうして12時間も超える録音作業が進められた。「笑ってみる」という歌詞が出てくる最後の2音節だけ歌えば録音が終わる状況だった。いま、‘みる’というたった2文字だけ歌えばいいのに、喉からはまったく、金切り声さえも出てこなかった。どんなにしきりに口を開けても深呼吸をして水を飲んでも、結果は同じことだった。空が崩れるというがあんな感じだろうか? 絶望的だった。これ以上どうする事もできなかった。そうしながらまた2時間が過ぎた。そして奇跡的に‘みる’という2音節が私の声帯を通して流れ出た。
瞬間涙がどっとあふれた。録音を終えたことに感謝するというよりも、私1人のために延々14時間もの間苦労されたコミ姉さんと録音スタッフたちに申し訳ない思いと一緒に、こんなに満足できない声で初めてのソロ曲を出さなければならない現実に対するもどかしさが入り乱れた涙だった。
人々の慰めを後にして、私自身との戦いをもう一度始めた。愛するメンバーたちと会社 家族たちもどうする事も出来ない問題だったので、1人で闘って1人で耐えぬかなければならなかった。何より私自身が私の喉の管理をきちんと出来ないせいだった。電話の通話さえもひそひそ話すくらい、喉を安静にさせた。喉にいい事は何でもしたし、話をしなければならない状況だったら笑顔を代わりにした。
そうして何カ月かが過ぎた。幸い<嘘>という曲からは嘘のように、本当に嘘のように正常に近い声を取り戻すことができていた。
