称賛にはもっと気を引き締めて 
非難はもっと喜んで受けろ
 
 
私が大好きで尊敬するスターの一人にバスケット選手のマイケル・ジョーダン(Michael Jordan)がいる。彼は持って生まれたバスケットボールの天才でもあるが、とてつもない努力家としてもよく知られている。ずいぶん昔に本で読んだ話だが、そこに出てきた彼の話を長い間書き留めて記憶している。
「私は称賛を聞いたら、無条件でバスケットボールコートに走って行ってシュートを300本以上練習した。そうすれば安心して寝ることができた。」
 
初めは理解できなかった。「バスケットボールの神」とあがめられる彼にとって称賛や歓呼は多分当然のことではないのか?非難や叱責ではなく、たかが称賛一言になぜそこまで自分自身を苦しめるのだろうか?
けれどもこの頃は称賛がそれ以上に恐ろしいのだということを少しは感じている。誰でも称賛や賛辞に慣れてしまったら油断したり怠惰になることがある。マイケル・ジョーダンのような完ぺき主義者が、称賛一言にことさら不安に思ったのは当然のことだ。少しでも心が揺れて怠惰になるのではないかと思って心配になり、より一層練習に取り組むほかないのだ。だれが見てもバスケットボールの天才である彼までも、褒め言葉をうのみにしないように自分にムチ打ったなんて・・・。私はその話に本当に感動を受けた。自分自身にそんなに徹底的だということは、それくらい重要で執拗だという意味ではないか?私がマイケル・ジョーダンから学ぼうとする点は、まさにそんな執拗さだ。
マイケル・ジョーダンのようにいつも最前を1位で走らなければならない人はずっと苛立たしくて心細いだろう。前には追い付かなければならないリードランナーもいなくて、いたることころでどんな競争相手がどんな姿をして出てくるのかわからない緊張の連続だ。
 
この間TVに出ていたバレリーナのガン・スジン先生も似たような話をしていた。
「毎日十時間ずつ練習をすれば、いつも朝は全身が痛いです。ある日は足が痛くて、その翌日は腰が痛くて、その翌日は肩が痛いです。けれどもある日どんなところも痛くない朝を迎えたら突然怖くなります。昨日は私が運動を疎かにしたに違いないからです。そうだとしたらその日はもっときつい訓練をするようになります。出来うる全てを尽くして練習をします。それが生涯の習慣になりました。そうすれば安心して寝ることができます。」
過酷な練習のため、まるでカエルの足のように奇形してしまったカン・スジン先生の足の写真がしばらく人々の関心を集めたが、この話を聞いた後では理解ができた。こんな話を聞く度に心を引き締めて襟を正す。
 
YG練習生たちはもともとライオンの子供(?)のように育てられているから、酷い目に会って叱られる事には慣れている。褒め言葉とか拍手にはむしろ狼狽する。ヤン代表はいつも私たちにこう言う。
「褒め言葉は毒で、非難は刃だ。」
幼い時から本当にこの話は耳にたこができるくらい聞いた。褒め言葉は人を怠惰にさせる毒で、非難は意志と可能性まで切ってしまう刃にもなるから、二つとも気を付けて使いなさいという意味だ。
多くの人の前に立つ職業には、何をしても褒め言葉と非難が付きまとうのだから、賢明な人はそのことで動搖したり支配されたりしないだろう。
だから私は私がいただく褒め言葉の中に隠れた致命的な毒素を取り除いて糧とし、非難という刃を持って自分のうわべを注意深く切りすてる努力をする。
 
 
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