「お前が決めたのなら、責任を負うのもお前の役目だ!」
 
 
どこ家もみな同じだろうが、私たちの両親も兄さんや私が大きくなったら医師や判事、教授のようなもっともらしい職業に就くことを願っていた。だが兄さんと私のどちらも、やりなさいと言われる勉強よりは音楽に関心が高かった。両親は1番の職業に就くことができないならば、せめてピアニストや音楽の先生になることを希望されたし、私もやはりそのような両親の期待が私の希望のように考えたこともあった。
 
まじめに両親の言葉に従っていた子供が、ある日突然「企画会社の練習生」になると言いだしたので、両親はものすごく驚いた。芸術や芸能分野を本当にやりたいと決めたのなら、歌手になるよりむしろ俳優になるほうが「安定的」ではないかと私を説得された。
どれ一つとして簡単な分野があるわけなどないが、少なくとも「歌手」という夢は「私が本当になりたくて本当にがんばれる」ことだった。私は初めて両親の言葉に逆らって、私の意地を通すための計画をたてた。
 
私が両親を説得した方法は、家を飛び出したりご飯を食べなかったり、話をしないような反抗的なものではなかった。私の夢をかなえる事も重要だが、関係を壊して人に迷惑をかけてまでその道を行きたくはなかった。有難いことに少なくとも私たちの両親は、頭ごなしに叱るような事はしなかった。
お手伝いを全て引き受け、そうじはあたりまえで、両親がしてくれと言わなくても何かしてあげれば喜ぶような仕事などを探して行った。これから練習生になって歌手になっても、優しくて誠実な息子の姿は失わないという無言の約束だった。そして暇さえあれば、私が出来る限り最も真剣に私の思いを伝えた。
 
もしも両親の強い反対にぶつかってどうする事も出来ないという人がいるなら、私の経験を分けてあげたい。
私が切実に望むものがあるのに周囲の人と意見が違う時、むくれた顔で口を閉ざせば説得するチャンスは永遠に逃げてしまう。私の頭の中にははっきりした考えがあって確信があるのに、まだ幼かったり経験が少なくて、きっぱりこうだと説得する言葉が思いつかない時があるだろう。その時そのままあきらめてしまったり「両親は私を理解できない」と背を向ければ、永遠に説得のチャンスはこない。そうなると誤解と傷だけを残したまま、お互いがお互いの考えを永遠に理解できず、私の夢を支援してくれる強い味方を一つ失うことになる。
それが、私がその時感じた事だった。衝突せずに両親の本当に胸の内を推し量って、静かな声で説得すること、それが私の考えた解決法だった。
 
「そうか、お前が本当にそう望むのなら、したい事をしろ。だがお前が決めたことだから、お前が最後まで責任を負わなければならない。一度始めれば途中でやめる事は出来ない。お前がそこで失敗しようが挫折しようが、後で言い訳をしたり泣き言を言うのは認められない。」
 
しかも一つ条件があった。「練習生活動をするという言い訳で、学校生活を疎かにしないこと」特に「今のレベルの成績を維持しなさい」ね。両親とのその約束と共に、私は私の「夢のワイルドロード」に本格的に入り込むことになった。
 
 
イメージ 1