「兄さん、ジヌションの子役をちょっとやって見ませんか?」
小学校 3年生の時、少しの間叔母さんの家で過ごした事がある。両親が忙しかった時期なので、叔母さんにしばらく預けられたようだ。
当時一緒に暮らした二人の従弟が、演技学院に通っていたので、不慣れな町だし一人で遊んでも退屈で特にやることもなかったので、友達にさそわれて江南に行くかのように、一緒に演技学院に通うようになった。10才頃の私は人なつっこさもなく、恥ずかしがりやの内向的な子供で、当然演技にはかけらも関心がなかったし、誰かに「将来大きくなったら何になりたいの?」と尋ねられれば、顔を赤くしたまま、その時その時でいいかげんに答えたりしていた。
そんなある日、友人の一言が私の人生を根こそぎ変えることになった。演技学院で親しく過ごした友人がいて、私より一つ年下だったが、好きな事も似ていて性格もよく合って、兄弟のように親しく過ごしたやつだった。
「兄さん、オーディション出てみない?」
「オーディション? 何のオーディションなの?」
「うん。ジヌションの・・・。兄さん 知ってるでしょ?その歌手の子供役で、僕がジヌの役で合格したんだよ。ところがションの役をする子供役がもう1人必要なんだって?」
ジヌションという言葉に耳を疑った。
「ジヌションの子供役? それって何をするの?」
「うん。その兄さんたちが出るミュージックビデオで、兄さんたちの幼かった時の姿で出るんだ。」
その友人はただ帰り際に、「一度やってみない?」という風に薦めただけだった。だがその時、私の頭の中にピカッ! と電流が流れた。他の歌手ではなく、私が本当に好きなジヌション兄さんたちだって! 小学生の年齢だったが「兄さんと同じ年頃らの音楽」にだけはまって生きてきた私に、ジヌションはそれこそ崇拝の対象だった。歌詞やラップ、振り付けまで完ぺきに暗記している、私はまさに「準備された子役」としてピッタリだった。
演技学院に通う友人たちは大部分が、ドラマや広告CFに出演するのを目標にするので、音楽に興味を持ったり、特にヒップホップのようなジャンルの音楽を楽しんで聞く子供たちがあまりいなかった。踊りやラップのようなものにも関心があるわけがなかった。
私は生まれて初めて強烈に願う何かを手に入れようと「決心」した。もじもじして躊躇すれば、永遠に廻っては来ないチャンスであった。愛想のない子供、自分が何を望んでいるのかよく分からない子供が「心が示す方向に向かって飛び出す子供」に変わった瞬間だった。私は渾身の力を出してオーディションを準備した。振り付けを習ってラップをさらに完ぺきに覚えて、ション兄さんとは全く違う容貌の持ち主だったが表情までも同じようにまねて、あたかも私自身のソロ舞台を準備するかのようにオーディションを準備した。
そして・・・私はオーディションに合格した。当然の結果だったかどうかも分からない。そっくりな子供は探すことができたかも知れないが、似たような素質と熱望を持ったジヌションの縮小版は探すのは難しかっただろう。今振り返ってみるとその時から私は「情熱と執念を持っておこなえば、やり遂げられないことはない」という信念を持つようになったようだ。
演技学院で誰も注目しなかった子供、恥ずかしいというばかりで、何一つうまく出来ず引き立って見える事のなかった子供は、そのオーディションをきっかけに生まれ変わった。
期待を膨らませてたどり着いたミュージックビデオ撮影現場は、私が経験することのなかった別の世界だった。音楽が好きで聞くことだけで満足していた私は、直接音楽を創造して表現する楽しみを間接的ながら味わうことができた。バスケットボールを見物するのと、バスケットボールコートでプレイするのとではまったく違う。よどみなく四方に飛び散る汗の雫と、炸裂しそうな心臓の鼓動、手をふれれば火傷するような熱い体温が本物だ。
直接ミュージックビデオで着るヒップホップの衣装を選んで、ラッパーの表情と身のこなしを表現して、私はアーティストになるということの楽しみ、そのしびれるような生臭い空気をほんの少し吸い込んでしまった。たとえ私の声が入ることはなくても、私は本当に歌手になったように小さい手と足をこまめに動かした。その瞬間「歌手」という運命的魂が、私の手と足と口を通じて私の中に流れ込んでいった。
以前まで私にとって「人生」というのは与えられた通り着実で、誠実に歩いていけば、いつかは足を踏み出すことになる未知の世界であった。他の人々が尋ねる度に、礼儀上答える私の夢は「ピアニスト」か「音楽の先生」だった。
お母さんはスズメの涙ほどの才能しかない私にピアノを買って下さったし、バイエルとチェルニ教本を実力が向上する速度に合わせてきちんきちんと供給(?)されていた。それ以前までの私にとって人生はそういったピアノ練習のように両親の言葉をよく聞いて着実にやっていれば、一段階ずつ上がることができる階段のようなものだった。ゆるゆるした私が高いところで2~3段ずつ飛び上がるなんてことは「臆病者の」私には想像もできないことだった。
だがこの世には「私が作っていくことができる世界」があった。与えられた階段をさくさくと上がるだけでなく、私が創り出していくことができるワンダーランド(Wonderland)なのだ。そしてその世界のドアをあけるのは全て私の役目だった。
私はその日ミュージックビデオを撮影した瞬間の胸のドキドキを骨の中深く刻んだ。そして今まであの瞬間の感じを忘れたことがない。
