「このどうすることもできない胸の震えをどうすればいいの?」
 
 
誰でも人生で、まるで映画の一場面のように鮮明に残っている記憶が1つや2つは必ずあるはずだ。その当時の日常や友人たち、平凡だった毎日の記憶などはまるでやや青く色あせた水中の残像のようにかすかにかすめるだけなのに、唯一昨日起きたことのように鮮明に残っているある瞬間の記憶。
私はそのような場面がまさに人生で忘れてはいけない「重大なシーン(scene)」だと思っている。衝撃的な体験だったり、私の中にむずむず広がり始めていた熱望が爆発した瞬間だったり、新しい人生のカーテンがさっと開かれた瞬間でもある。
 
私の人生最初の重要な「シーン」は、うちの兄さんの部屋で起きた。今でも私がT.O.P兄さんの部屋にこっそりと入るのが好きなのは、ひょっとしてその日のその経験のせいではないかと思う。
 
机の上にドカンと置かれていた兄さんの宝物1号のラジカセ。6才の頃の私にとって、それは現実とは違った世界への旅行を可能にする神秘の門だった。私より5才上の兄さんは、当時小学校高学年だったが音楽に特別関心が高くて、同じ年頃の友人たちに比べて選曲基準が難しかった。今はミュージカル俳優をしているが、早くから音楽に対する好みが特別だったのだ。夜ごとヘッドホンをはめて頭とつま先を大きく動かして、兄さんが聞く歌。私はそれがとても気になった。
いつだったか、兄さんが眠っている隙を利用してこっそりとヘッドホンをはめてラジカセをつけた時、私はその場で固まってしまった。黒人音楽の世界への扉を開いたマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)、その時代の革命家ソテジワアイドゥルの音楽に私はそうしてはじめて目覚めた。アコースティックではつらつとした童謡を聞かなければならない年齢に、その代わりにビート(beat)とフィーリング(feeling)が私を訪ねてきた瞬間だった。
 
自然に私の音楽の好みは兄さんの影響を受けて変わり始めた。先輩たちの話を聞いてみれば、高校生や大学生の兄たちの影響を受けて、ガンズ アンド ローゼズ(Guns N Roses)やディープ パープル(Deep Purple)の音楽を聞いてロックとヘビーメタルの本能に目覚めたという体験談が多いが、私もやはりそういった部類だった。
 
それからは、夜を明かして音楽を聞くことも頻繁になった。昼間は身動きもせず兄さんがカセットを独占しているので、仕方なく夜間自習が続いたのだ。英語が分からないからその意味が何かも分からなくて、スタンドのあかりを頼りにラップ歌詞をハングルで(?)聞こえるままに書き取って一人で一緒に歌うこともした。音楽が漏れていないかと思って布団までかぶってたんだ。
 
今でも大好きなブライアン・マクナイト(Brian Kelly McKnight)のR&Bをはじめとして、ソウル、ポップス、ロックンロール、ヒップホップまでジャンルを問わず多様な音楽を聴きあさった。特にスティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)やボーイズ トゥ メン(Boys Men)の音楽は数百回ずつ繰り返して聴いて、最後にはテープがみんな伸びてしまった程だった。
その時でも歌手になるという考えは夢にもなかったが、音楽というDNAは私の血の半分程度を侵していたようだ。
 
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