享受することのできない自由に対して
 
いわゆる有名人になって、最も考えることになった単語がまさに「自由」というものだ。
以前は、私が何をしようが誰も関心がなかったのに、この頃は多くの人々に関心を持たれる。それは幸せなことだが、またそれだけ大変な時もある。「自由」が幸福の要素の中でとても大きいものだということを如実に感じる。
 
芸能人という生活に慣れていくには、目と耳を閉ざさなければならない時も多い。そうしておけば、心がぼろぼろにならないで保たれるためだ。幸い私の場合は溢れかえったうわさ話くらいでは、それほど傷を受けない楽天的性格だ。だがその楽天的な性格で私自身を納得させることはできるが、自由を享受するということによって経験できる、多くの創作の源泉はたくさん失ったわけだ。
 
同じ年頃の友人たちに会って、取るに足らない話を交わしたり、気にいったガールフレンドに会って思う存分デートしたり、濃い(?)恋愛と失恋の痛みも味わってこそ、さまざまな曲を作ることができるはずなのに・・・、時々私がただ働くだけの機械になったようで、少し悲しくなったりもする。もちろん失ったものに比べたら、私が得たものの方があまりにも多い。
 
これは、本当は秘密にしておきたかったのだが、時々遊園地にこっそり遊びに行く。顔を見せたら他の人々にも迷惑になるので、マスクや動物の仮面をかぶって行ったりするくせに、おとなしく遊んでくるのではなく、通り過ぎる人を驚かせたり、さっと引っ張ったりもしておもしろく遊んでくる。私なりの自由を味わう方法だ。そうやって1回行ってくれば、かなりのストレスが発散できる。
 
 
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