安田さんの『ボク。』が、昨夜また更新されましたねハート



もう、何度読んだかしら?



何度読んでも読み足りないというか



もっと読み込みたくなります。



体に、染み込ませたくなります。



そんな『ボク。』でした。







自分の人生に試練が待ち受けていたとき、それをどう乗り越えていくかで、その人の人生の質が決まっていく気がします。



腐ったり



荒れて当たり散らしたり



『こんな体で生まれたせいで』と、親のせいにしたり



そうやって気持ちを爆発させることで、ガスを抜くことはできます。



ただ、それは一時的な発散方法。



ガス抜きした後に待つものは、変わらない現実。



やはり最後は、どう向き合うかなんだと思います。






その向き合い方が、納得の仕方が、なんとも彼らしい。



誰のせいでもなく、ボクの宿命だと言いきる姿勢。



ここからの生きざまが後に繋がるからと、人生を踏み出す使命感。



読めば読むほど



この人に出会えて良かったなぁと、心から思うのです。









私の話を、少しだけ。



安田さんとは違うものですが、私には生まれ持った奇形があります。



そのせいでイジメを受けたり、偏見を持たれたりしました。



近所の人は、私の事を『かわいそうに』と影で囁きました。



母はいつも私を背中に隠し『ちゃんと生んでやれなくてごめんね』と言いました。



でも私自身は、周りが言うほど悲観的には思ってなくて。



不思議と、こんな人生を嫌だと思ったことはないのです。



小さな頃から、いつも心にあった言葉。



『楽しませてもらうな。楽しみは自分で探せ』



今日一日がつまらなかったなら、それは楽しいことを探さなかった自分のせい。



だからいつも、楽しいことを探す子でした。



そのためか、この人生が楽しいのです。



現に今も、毎日ブログで好きに書き連ねて楽しんでいます。



そんな私のブログを見て、いろんな方が訪問してくださって、新たに輪が広がって。



それがまた楽しくて。



ハゲ散らかしたビールっ腹の主人と恋におちて、一緒にエイターを楽しんでくれる娘二人に恵まれ、主人の両親との同居も日々楽しくて。



こんな私を雇ってくださる職場もある。



幸せ者なんです、私ハート






ただ、母は今でも、私にこう言います。



『ごめんね』



いつまでたっても、母にとって私は…



かわいそうな子供のままです。



そのたびに、チクッと心が痛むのです。



『私はこんなに幸せなんだから、もう心配しないで』



そう伝えたい大切な母に、いつまでも心配されたり、かわいそうに思われたりすることは、私の本意ではありません。



そう心配するのが親だ、愛情だ、そう言われても…



私は母にとって、いつまで『かわいそうな人』でいればいいのでしょう?



だから私は、実家に帰るたびに、少し悲しくなるのです。









話を戻しますが



安田さんももしかしたら、そう思っているのでは?と時々思うんです。



私も最初はビックリしたし、心配したけれど、このまま心配してばかりでいいのかな?と。



心配してくれることや、かわいそうに思われることは、決して安田さんの本意ではない気がするのです。



何度もwebやレンジャーやボク。を通して、現状報告して安心させようとしてくれるのに、ステージに立つ安田さんを見る側が



『痛そうに…』

『かわいそうに…』

『大変だろうね…』



って思い続けていたなら…



そんな風に思われながら生きていくって、辛いんじゃないかな?



どれだけ安田さんが前を向こうとしても、見る人たちにそう思われている以上



安田さんは『かわいそうな人』から抜け出せない。



そっちの方が、辛いんじゃないかな。









そう思うから、私は必要以上に心配しないで、安田さんについていきたいと思っています。



こんなにも頑張ってる人を、いつまでも『かわいそうな人』にさせたくないから。



安田さん頑張ってるなぁ!私も頑張ろう!って思いたいから。



そうやって、一緒に歩んでいきたいから。



きっとその積み重ねは、相乗効果になって、もっともっと高いところまで一緒に行ける力になる気がするからハート



関ジャニ∞に出会えたからには、とことん関ジャニ∞を楽しみたいと思ってますよハート



楽しみを見つけるのは、得意な方ですチュー



以上、はっちゃんでしたー音符