大好きなおばあちゃんが、亡くなった。
私の成人式の4日後に。


体弱ってて、10月頃から入院してた。


5年位前、おじいちゃん、ひいおばあちゃんの死が立て続けにあって、おばあちゃんは精神的に弱ってたの。


それに、おばあちゃんちに住んでた従兄弟2人も最近結婚して出てっちゃったから、7人いたおばあちゃんちの住人が、おばあちゃんと伯父さん伯母さんの3人になっちゃった。


伯父さん伯母さんは仕事で昼間いないから、おばあちゃんはずっと1人で寂しかったみたい。


話す人いないから段々頭もボケちゃって、生きる気力がなくなっちゃった。




私も学校で忙しくて、なかなかおばあちゃんちに行けなかった。

小学生の頃は毎日のようにおばあちゃんち行ってキュウリの漬物食べたり、習字教えてもらったりしてたのに。


おばあちゃんが入院してから、最近は毎日のようにお見舞いに行ってた。


最近学校は1年生ばっかで友達に会わないし私も話し相手が欲しかったから、おばあちゃんが元気になるためにも話しに行ってた。


会いに行く度におばあちゃんは元気になった。


コタツでみかん食べながらテレビ見るの最高だよね!って言ったら微笑んでくれたり、来年から社会人だー!って言ったらちゃんと出来るかいって言ってくれたり。

自分のこと、おばあちゃんは~って言ったり。

まじで入院前の元気なおばあちゃんに戻ったみたいだった。


やっぱり人とコミュニケーション取るのは大事だなって実感した。


けど、私、年末年始スーパーの短期バイト11連勤してて、その間1度も会いに行けなかった。


お父さんも年末年始仕事が朝5時発、深夜2時帰宅だったから10日くらい行けなかった。


ちょうどその時期、足のむくみがましになったから、病院から隣接してる老人ホームに移ったの。(けど私達は病院って呼んでる)



そしてバイト終わって成人式の前日に久々行った。


明日成人式なんだ~!私は赤い着物着るよ~!って。



そしたら、久々見たおばあちゃん、ガイコツみたいに痩せ細ってて、私の話に無反応だった。


ほんとに、死が迫ってるって感じて、私は涙を堪えるのに必死だった。



そこで思った。私がおばあちゃんを絶対死なせない!って。


昔からおばあちゃん子だった。お母さんが骨折して入院してたとき小2の夏休みはずっとおばあちゃんちにお泊りしてた。


お祭りでは1万円で色々買ってくれた。
おばあちゃんが習字教えくれたおかげで、習字習ってるの?って先生に言われたりした。


親が離婚直前の喧嘩したときおばあちゃんが止めに来てくれた。



大好きなおばあちゃんは私が絶対守る----------------------。






その日帰ってから、「おばあちゃんまじで死にそうだったよ?まだ持つよね?」ってお父さんに聞いたら、まだ1年は大丈夫だよ!って言ってた。から少し安心した。




次の日、成人式の後、振袖のまま家族と病院に行った。



昨日は無反応だったおばあちゃん、私の名前呼んでくれた。


嬉しそうに何回も私見て微笑んでくれた。
ちょっと涙出てる?って思えるくらい喜んでくれた。


何枚も写真撮った。



それが最後の写真になるとは思わず。




そして帰り際、ばいばーい!また来るね!っておばあちゃんに言って帰ろうとした。



そしたらお父さんまだ病室入口から動かないから、私もバックしてもう1度入口んとこ行った。


お父さんが大きく手を振ったら、なんと、おばあちゃん手を振り返してくれたの。
もうそんな体力なかっただろうに。
いつもはこっちが振っても振り返さないのに。


帰り道、おばあちゃん手振ってくれたね!すごいね!よかった!びっくりした!って話で盛り上がった。



次の日、また来るね!って言ったから、嘘つきたくなかったから、おばあちゃんに会いに行った。


けど学校終わって8時くらいだったから、もうおばあちゃん寝ちゃってた。



そしてその次の日、また学校帰りに寄ったら、今日も寝ちゃってた。まだ7時くらいなのに寝るの早いなぁ。

家帰ったら私が行くちょっと前にお父さんがお見舞い来てて、食堂でご飯食べた後すぐ寝ちゃったんだって。って言ってた。



テスト前だったから課題に追われて行くの遅くなっちゃうし、おばあちゃんは寝ちゃってるしでなかなかタイミングが合わなかった。



寝顔は2回も見れたけどね。



そしてその次の日、学校でプレゼンの順番決めるくじが2回とも1番だったから、これはなんかある⁉︎と思って、宝くじを買おうと思った。


あと、成人式の着物。本番ではレンタルの赤着たけど、その前に親の知り合いのおばさんに緑借りて合わなくて辞めたから、それを返しに行く予定があった。



学校帰り、最初に赤いレンタルを宅急便で送った。おばあちゃんの病院がクロネコヤマトから近いから病院寄ろうって頭よぎったんだけど、宝くじ6時30分までだし、って思って、宝くじと緑の着物を返しに行ってしまった。


緑の着物のおばさんはほんとうに優しい方で、おばあちゃんちみたいいつでも遊びおいでって言ってくれた。



私のおばあちゃん今入院中なんですって話もそこでちらっとした。まさか、次の日亡くなるとは知らず。



で、病院行きたかったんだけど、色々行ってたらもう9時で行けなかった。


その日はお父さんも伯父さん伯母さんも忙しくて病院行けなかったみたい。

結局、家族で最後に会ったのは、その前の日に行ってたお父さんだった。



そして、夜はテスト前の課題をこなしてて寝落ちした。朝、電話が鳴った。



私は寝ぼけてた。



リビングにいた弟が出て、おばあちゃん亡くなったってって。




えっ。





守るって思ってたのに。





おばあちゃんは朝4時の見回りで看護師さんが行った時にはもう亡くなってたみたい。原因はもともと血管細いのに水分不足で詰まっちゃった?的なやつ。夜はいつも通りご飯食べて普通に元気そうだったんだって。親は朝5時に電話来て病院に駆け付けたみたい。まだ体はあったかかったって。



病院からおばあちゃんちに行ったお母さんからの電話だったんだけど、寝ぼけてた私はてっきり伯父さんからの電話かと思って親に「おばあちゃん亡くなったって」ってメールしちゃった。



親から報告受けてたのに、仕事行ったんかと思って親に報告し返しちゃったじゃんw





その日学校10時30分からだったから学校前におばあちゃんち行った。



おばあちゃん、気持ちよさそうに、安らかに眠ってた。


私が前々日とその前の日行ったときと同じように眠ってた。



声かけたら起きそうなくらい本当にキレイに眠ってるおばあちゃんを見たら泣けてきて、おばあちゃんの前で30分くらい泣いていた。



おじいちゃんが亡くなったときは、遺体を見るのが初めてでびっくりして、悲しくて嗚咽するほど泣いてたけど、おばあちゃんが「大丈夫だよ。」って泣いてる私をリビングまで連れてきてくれた。




けど、もうリビングまで連れてきてくれたおばあちゃんはいない。



迎えに来てくれる人がいなくて、おばあちゃんの前でずっと泣いていた。




病院から老人ホームに移ってなければ、宝くじ買わなければ、着物借りなければ、もう一回おばあちゃんに会えたかもしれないのにって後悔が少しあるけど、これでよかったんだ。


納得の死だった。



すごくキレイな、思い出に残る最期だった。最後にちゃんと起きてるおばあちゃんを見たのは私の成人式。最後はばいばいって手を振ってくれた。だから私とおばあちゃんの最後は、手を振ってるところ。そのシーンがフラッシュバックする。



なんであの時、手を振ってくれたのかな?前はこっちが手を振っても力なくて振り返せなかったのに。おばあちゃんは最期になるってわかってたのかな。



弟も、ずっとおばあちゃんに会ってなかったんだけど、お正月に久々会ったみたい。成長しすぎて、おばあちゃんには忘れられてたみたいだけど。



亡くなった次の日、おばあちゃんの妹達がやってきて、生きてるおばあちゃん最後の写真、振袖の私とおばあちゃんとの写真見せたら喜んでた。


最後の写真になってしまったから、妹3人がその写真を持ち帰った。



写真いっぱい撮っといてよかった。



親戚が最後に集まったのは11月のおじいちゃんの7回忌。
あの時は元気だったのに。ってみんな言ってた。お医者さんも、容態が急変してって言ってたし急に逝っちゃったんだ。



なんか、すごくおばあちゃんらしいと思った。


昔から人に迷惑かけたくないって言ってた。自分がおじいちゃんひいおばあちゃんの介護経験した分、迷惑かけないでコロっと逝きたかったんだろうな。



あのまま生きてても病院でつまんない毎日送るしかなかったから、悲しいけどこれでよかったんだ。



ありがとう、おばあちゃん。



それに、お葬式は土曜日だったから学校休まなくて平気だったし、千葉のおばちゃんは日曜日に帰ったから月曜からの雪は平気だったよ!


本当おばあちゃんすごいよ!迷惑かけてない!尊敬する!



おばちゃんが亡くなったことで、従兄弟たちに久々会った。上の従兄弟2人はもう子供がいて、久しぶりに会った。



下の従兄弟は小さい頃よく遊んでたけど、最近見なくて高校生になって久々会ったら変わりすぎてびっくり!!




声低っ!背高っ!ニキビやばっ!
男じゃん!!!




昔は白いほっぺくりくりおメメだったのに、すっかり男らしくなってましたw


あと、従兄弟の旦那さんを初めてみたー!
土方やっててオラオラ系だったww




こうやって従兄弟達と会わせる機会を作ってくれたおばあちゃんに感謝だなぁ。




でも、もう会わなくなっちゃうのかなぁ。冠婚葬祭でしかね。。。




今までは「いつでも自由に行けるおばあちゃんち」から「伯父さんち」になっちゃうんだもん。泣。しょうがないか!



お葬式の時、伯父さんは色々役目があったから、辛くてもあまり泣けなかったと思う。



けど、骨渡し終わったとき、嗚咽して、いっぱい泣いて、辛かったねっておばあちゃんの妹に言われる姿見てうるっときた。



伯父さんは、おじいちゃん、ひいおばあちゃんのときも、そして今回も。
6、7年の間に3回も喪主務めるなんて。。。




伯父さんも辛いはずなのに、来てくれてありがとなって毎回言ってくれるから、泣けてくる。




あと、おばあちゃん燃やすとき、最後のお別れですってときにみんな泣いてて、従兄弟の子供が、とと何で泣いてるの?泣いちゃダメー!って言っててうるってきた。




従兄弟がもう2児のお父さんやってるなんてウケるけど、すごくセツナかった。



私にとって一人のおばあちゃんだった。
もう一人は韓国だから全然会わないし名前さえしらないもん。



もう、おじいちゃんもひいおばあちゃんもおばあちゃんもいない。



もう、従兄弟や親戚の集まりもなくなっていくんだろうな。



悲しいよ。



おばあちゃんちは、村で1番大きい本家だから古い伝統とか色々あって、おばあちゃんも苦労してきたみたい。



他の妹は千葉や東京行って優雅に暮らしてるのにおばあちゃんは田舎で農家だもん。



おばあちゃんにぬいぐるみの作り方教えてもらったとき、おばあちゃん本当は裁縫教室やりたかったんだって言ってた。。。




おばあちゃん亡くなってから、昔の写真が色々出てきた。すっげー昔の、明治時代くらいの結婚式白黒写真とか出てきてびっくり(笑)



おばあちゃんの妹でさえ、映ってる人が誰かわかんなかったもん。そんな昔の先祖写真持ってたなんて(笑)




あと、おばあちゃんが使ってた教科書も蔵から出てきた。おばあちゃん戦時中だったのにすごいな!



そういえば昔、自由研究でお金について調べたんだけど、おばあちゃんが聖徳太子とか岩倉具視とかのお札見せてくれた。



そのお札はどうなっちゃうんだろう。
売れば高くなると思うけど…
まぁ、それは伯父さん管轄だから何も言えないけど。








悲しいけどキレイで思い出に残った死。
今回は不思議だった。
おじいちゃんのときもひいおばあちゃんのときもこんなん思わなかったのに、悲しいけど、死って美しいなって感じた。


死に人柄が表れる。
こんな、みんなに大切にされて。。。



田舎育ち、農家の長女。
やりたいこと我慢して自分に厳しく人に優しく接してくれたおばあちゃん。


本当に尊敬します。



たった1人のおばあちゃんは、私にいっぱいの思い出をくれた。




96歳くらいで亡くなったひいおばあちゃんは、私の結婚式までは死なないでって周りに言われてたけど、それは流石にムリだった(笑)



けど、おばあちゃんにはウエディングドレス姿見てもらいたかったのに。早いよ。




振袖見て、おばあちゃんの役目はもう終わり!って思ったのかな。




大好きなおばあちゃん。
今までありがとう。
これからは天国で私のこと見守っててください。