まだ続きます。
バックパッカー。
3話目です。
どーぞ。
↓↓
◼️第24話〜バックパッカー③〜
第3章 〜飴と鞭〜
カンボジアからベトナム入国。
ここでもトラブルになるのがやはりお金に関すること。
お金って怖いですね。
冷静にそう思います。
適当な性格でもぜんぜんいいけど、お金のことはしっかりしようよ。て思ってしまったり。
お金の面だけで、それが原因で亀裂も入ってしまったり、金額がそこまで大きくなくてもやはり空気が悪くなってしまったりすることも。
ある程度はいいか。
そんなふうに思えるぐらい。気持ちの問題なのかもだけど、そのぐらいの余裕はほしい。
どんなときも常に冷静にいたいための1つとして、そう思ったりもします。
常に冷静でいたい。
怒りたくない。
常に冷静でいるためには現実的にはやはり金銭的にもある程度は余裕でないと。
お金持ちになりたいとかそんな欲はないのですが、冷静にいるための1つとしてある程度は。
そんな風に僕は思います。
ベトナムでは、ある宿泊した場所で言われていた金額と違う金額をチェックアウトする際に請求されるということがありました。
正確に言うと大きい金額のお札しかなく支払いをしたら、おつりがあきらかに少ない。
そして、
始まってしまいました。
日本語。vs ベトナム語。
口喧嘩勃発。
本当の原因は分からないけれどお金が原因なのは確か。
何を言っているのか全くわかんないし、向こうもこちらの言っていることはおそらく全く分かっていないでしょう。
言葉が分からなくても成立してしまう喧嘩。
ある意味気持ちが通じ合っています。笑
何事かと近隣の方なのか何なのか、別の方も入ってきて、分からない言葉がさらに飛び交う。
最初っから何言っているのか分かんないのに、
さらにゴチャゴチャしてさらに訳わかんない、ほぼ怒鳴り声という言葉の嵐が襲ってきました。
このとき友達は1歩引いてしまっていました。
この戦場は徐々に、
林。vs 数人のベトナム人へと変化していく。
もちろん手は出していません。
そこから、そこまで長くはならなかったとは思うのですが、最終的には正規の金額でサヨナラできました。
しかし、
これは冷静に今思い返すと、わかんないけど僕らが悪い可能性もぜんぜんあります。
言葉が分からなくても気持ちは通じたりもするけれど、やはり本当のところは言葉が分からないと分からない。
こちらとしては、ベトナムの地に来るまでにも経験として相場よりも大きい金額を支払うことになってしまったことも何度かあったり、一方的に、またか。のような気持ちに勝手になっていました。
あの見るからに私は怒ってます!の表情と大声の言葉は何を言っていたのか、
ちゃんとした理由がもしあったら、
いや、あったのかもしれない。
今思えば、あったような気もしないでもない。
今現在(2023年)から20年近く前のことだけど、今さらすぎるほど今さらだけど、申し訳なかった。
自分だけの問題でなく、
もしかしたらあれ以降、あの人達の日本人に対するイメージが180度変わってしまった可能性も。
あれ以降日本人を泊める際はもっと高額に、もしくはもう日本人は宿泊させるのはやめよう。とかもあるわけで。
そうだとしたらあの方々だけでなく、日本人にも大迷惑なこと。
そんな想像もできてしまい、だからこその申し訳ない気持ち。
やはり言葉がわからないのは不便。
間違いないですね。
言葉が分からないなら分からないなりにせめて、もう少し冷静にいたかった。
冷静にいたら、身振り手振りも加えていたら単語の1つや2つはもしかしたら拾えて理由が分かる方向へなっていたのかもしれない。
やはり常に冷静にいたい。
反省しました。
ベトナムの屋台で知り合ったベトナム人がいます。
日本語がとても上手い方で、何でそんなに上手いの??
と聞くと。
ニホンジンボッタクッテルカラ。ガハハハハ。笑
そんな行き切った本音トークが逆に面白くて。
いろんな面で行き切れる人は強いんだろうな、なんて思ったり、シンプルになかなか言葉がちゃんと分かる人も珍しいのもあり笑いながら話し、そんな楽しい時間もありました。
現地の服装ではないけど、それっぽい感じにもなりたくて、いろいろと一番買い物もし、物価は基本安いけど一番お金を使ってしまったのがベトナムでした。
基本毎日暑いので日焼けもしてくる。
このあたりからものすごく僕は現地の人に間違われました。笑
普通にベトナム語で話しかけられたことが何回あったか。
友達はお手洗いへ行く際、幾度とお金を要求され支払わなければならなかったようです。
そう、
僕は、友達と同じお手洗いを利用した時でさえも、そしてこの旅で1度たりともお手洗いへ行く際お金を要求されることがありませんでした。笑
現地で知り合った日本人も言っていましたが、僕はベトナム人ぽい顔みたいです。
ベトナム🇻🇳ホーチミン(サイゴン)からハノイへ。
友達が寝台列車に乗ってみたかったらしく、電車で一気にハノイまで30時間をこえるほどの超ロング乗車をすることに。
この電車に乗る間際のこと、
駆け込みのようにアイスコーヒーを買いました。
時間もなかったので交渉できず。
購入やりとりしながら、おばさんがクスクス笑っている。
確実にこれはやられてるなー。
しかしこちらには時間がない。
久しぶりの言われるがままの購入。
この時は僕はベトナム人には見られなかったようです。笑
この時の心境が日記に記載してありました。
『一人の客として平等に接してほしい。当たり前と言えば当たり前だけど、その当たり前の優しさは最低限として持っていたいし、自分は日本人以外の方も含め周りに対して優しい人でありたい。』
この寝台列車は本当に暇で。
途中途中から乗ってこられる色んな乗客の方と少し関わるぐらいで、基本音楽聴いているか、寝るか、日記書くか、帰ったら何するとか、考える時間だらけでした。
暇な時間、考える時間もあるからこそ、
この時間が色んな出来事ひとつひとつを改めて考えさせられ、自分の価値観がいい意味で変わっていっているような気がします。
なんて。
そんないい風なこと言っていますが、
基本的にモチベーションみたいなものは日にちが少し経つと普通に元通りになることもぜんぜん普通だったり。
アウトプットしたり、そのモチベーションが上がることを定期的でなくてもたまにはないと元通りになる。
どこどこに行ったら、、
何何をしたら、、
価値観変わるよ!
なんて聞いたりもしますが。
一瞬の気持ち的にはもしかしたらそうかもしれないけど、やはり性格同様、価値観を本当の意味で変えるのは難しい。
個人的にはそう思います。
そんな風に冷静に思ったりもしますが、当時のハノイへ向かっている電車の中の自分は価値観変わってる。
本気でそう思っていました。
優しい方もたくさんみえ、この電車内でも色んな方から食べ物をいただいたり、コーヒーご馳走になったり、移動先のベトナムの首都ハノイでは、外で疲れて休んでいたところ急に声をかけられベトナムファミリーに誘われ、家庭のご飯をお腹いっぱいご馳走になりました。
家庭のご飯はまた違うのか、少し興味もあったのもあり、誘われたとき、普通にいただいてしまったのですが、これがまた美味しくてかなり食べたのでさすがに悪いと思いこちらからお金を支払おうとしたところ、
そんなのいらない。
しまって。
全くもっていらないと支払いをお断りされました。
飴と鞭をバランスよく味わっているような。
むしろいまのところ飴のが多い。
良いことあると、すぐ楽しく幸せ感じていました。
ベトナムでもいくつか観光もしましたがそこは省略します。
1ヶ月間知らない土地で行動をしていると大変なこともやはりあったりもします。
上り坂があればその先必ず下り坂があるように、幸せを感じるような出来事ばかり続くことはなく、そのあとには下り坂という大変なことも。
いわゆる鞭です。
ハノイで宿泊していたゲストハウスのスタッフから言われたことと少し異なったことなどあったりもして、今度は友達がかなりご立腹に。
一歩引いて見れているからこそ分かることがあります。
機嫌が悪くなると、いつもそんなことでは怒らないのに。というところまでさらに激怒しまったり。
やはりもっとフォローした方がよかったのか。
不思議とゲストハウスのスタッフはそこまで言い返さず、終盤は特にかなり言われ放題な様子に。
これが原因なのかは定かではありませんが、ベトナム出国の際、ハノイからラオス🇱🇦ビエンチャンという都市へ、ここもかなりの長時間の移動になるのですが、ここがかなり大変で、この旅一番の大変な鞭であり大変な出来事になりました。
そんな鞭話はまた次回に。
第3章 〜飴と鞭〜 おわり。
最後まで読んでいただきありがとうございました。