お正月ムードもすっかり落ち着いて、わたしも仕事が始まりバタバタしている毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか?
今日は、「信じる」って何かについて、思ったことを書き綴ろうと思います。
信じる とは
よく、「信じてたのに裏切られた…!」なんてセリフを、現実でもフィクションでも聞くことがあります。
でもこれって、おかしくないですか?
だって、信じたら、裏切られるはずはないです。
BUMP OF CHICKENの『飴玉の唄』でもあるのですが、
「僕は君を信じたから もう裏切られることはない
だってもし裏切られても それがわからないから」
それは「盲信」だ〜とか、何でもかんでも肯定すれば良いわけじゃない!なんて言う架空の意見が飛んでくるのが見えます。
でも、わたしは「信じる」という行為を信じています。
わたしは、神仏を信じています。
信じているので、たとえどのようなことが起ころうが、神仏によって起こされようが、その全てをギフトだと思えます。きっと。
どんな暗闇にあっても、その先にある光を信じられます。信じられないときもあります。だけど、見失っても、また見つけられます。
神仏は、私が悲しんだり苦しんだりするような出来事もちゃんと起こしてくれます。
だけど、それは私が悲しんだり苦しんでほしいわけではないです。なんなら、わたしが笑顔で心軽くあることを望んでいます。
わたしが魂から望む未来に辿り着く為に、必要な研磨でしかないのです。
神仏の
「信じてくれなくても良い、嫌われてもいい、
必ずあなたのためになる」
という大きな愛を、わたしは知ってしまいました。
そんな存在の、そんな尊い贈り物を、無碍になんてしたくはない、笑顔で受け取って、ありがとうと伝えたい!と強く思います。
期待と盲信
できることなら、いつか本当に全てを信じられたらと思いますが、心が曇ってしまうとすぐに信じる気持ちを忘れてしまいます。
自分のことすら手放しに全てを信じてあげられることがまだできていないので、全ての人を……
なんて、道のりは遠いです。
でも、やり方はわかっているので、辿り着けないことはないと思います!(前向き)
もしも、「裏切られた」と感じる出来事があったとします。
それは、その存在を信じていたのではなくて、期待をしていたのです。
こうであって欲しい、という制限付きの枠の中からはみ出したから、裏切られた!と感じます。
「信じる」という行為には、枠はありません。
それは盲信などではありません。手放しです。
わたしは、信じることと盲信することの違いは、その中心に何があるのかにあると思っています。
信じるという行為は、中心に自分がいます。まず自分があって、あなたがいて、それだけで地に足をつけて安心しています。
自分が安心しているので、そこで完結しています。他者が何を信じて生きているかなんて、気にもなりません。
何かを信じるその時、
「わたし」と「あなた」しかこの世界にありません。
そして、その瞬間その2つは対等なのです。
盲信というのは、中心に自分がいなくて、自分じゃない何かを軸にしてしまった状態だと思います。
自分の盲信するものがいちばんで、世界の全てなので、それに否定的な人を見下します。
盲信のとき、
「わたし」を含めた「あなた」以外のものは下で、平等に無価値
になっています。
ここには上下があり、比較の世界なので、もしも盲信する「あなた」が理想から外れてしまった時、その世界は崩れてしまいます。
わたしは、
信じるというのは、「好きだから」選ぶことで
盲信というのは、「消去法」で選ぶこと
の究極のかたちなんじゃないかなあ〜
と勝手に思っています。
信じる心
それを踏まえると、他者を本当の意味で信じるというのは、簡単なことではありません。
人は変わり続けていて、昨日とは全く違うことを言っていることだってあります。
近しい人だと特に、イヤだな〜と感じる部分が見えて見えて仕方ないです。
期待をして、「こういうあなたでいてね」と執着しているうちは、毎秒期待と裏切りをものすごいスピードで味わい続けるだけです。
もう諦めて、手を離してみてください。
はじめは、えっ!?てなるかもしれないですが、
わたしたちはお互い手を離しても、
全然それぞれがひとりで立って歩けることにすぐに気づきます。
ひとりじゃないと通れなかった自分専用の道にそれぞれがたどり着いて、ようやく自分の人生に戻ってこられます。
そして、自分専用の道の険しさにびっくりしちゃったりなんかして。
他人に対して「どうあってほしい」なんて、期待をしている場合じゃなかったー!と、すぐに膝をつく羽目になります。
諦めなくていい!一切皆成!
いつか必ずどんな人でもたどり着けると信じています。
星のように遠くに先人たちは居て
キラキラ瞬いてみえますが
もしかしたら、先人たちも後ろを振り返ると
私たちが頑張って光っているのが星みたいに見えているのかなあ
なんて考えてみたりして、一人で泣きそうになりました。
