スポーツに考へる。。
ここ数日、もっぱらニュースでは女子柔道界の暴力問題が報道されている。
柔道女子日本代表の園田監督が記者会見をした。
暴力とはその名のとおり暴力である。
許される行為ではない。暴力であるなら断固反対である。
しかし、指導の中で叩かれたことなどに奮起し
負けじと食いついていく選手も数多くいる。
或いはしっかりとした信頼関係の中では
「暴力だ!」と追求されることはまず無い。
というか、しっかりとした統計をこれは取れば明らかなはずである。
今回は柔道界の話が主となっているが、
現況の話しをすれば、柔道に限らずどこのスポーツ界にも
あり得るということが現状ではないだろうか。
そして報道の流れは
やはり「暴力」という視点の中でコトが進んでいる。
私のような立場で「暴力肯定論」を唱えているのかと
非難されるかもしれないが、「暴力」は肯定しているわけではない。
ただ、一辺倒に言い切れるものなのかと今一度考えてみた。
まず①つ目。
マスコミや国民という立場で考えると
特にオリンピックなどのときのことを思い出すべきではないのだろうか。
あの選手や監督・コーチの日々の苦しい練習の成果を
単純に成績しだいで取り上げ方が全く違うと言う、あの無責任な応援。
特に日本は恐ろしさを覚える。
いじめ以外の何者でもないのではないか。
その背景にある選手や監督・コーチに自然にかけられた「圧力」。
それを理解しているのだろうか。。。これもしっかりと正すべきだ。
②つ目。
殴られた、蹴られた、暴言を吐かれた中で
「自分を正しい道で導いてもらえた」と考えている人の
意見もしっかりと聞くべきである。
これは、そういった環境が良い悪いという意味でなく、
そこに自分を変える大切な何かがあるからである。
ここでは敢えて言わないが。
③つ目。
いつになっても無くならない凶悪犯罪。増える一方に思える。
これも本人のみに焦点が当てられるために感じないと思うが、
こういった人間形成をつくった環境はどのようなものだったのか。
特に成長過程である学生を含む若年層の犯罪の増加。
これは家庭を含む社会環境の問題であると伺える。
こういった歪んだ心を持つ前に対処できないのは何故なのか。
これには教育者や指導者が命をかけられない何かがあると思える。
これもスポーツで改善できる場合が少なくないのだ。
さて、いじめ・暴力・セクハラにパワハラ、
全てにおいて、どこにでも存在するはずなのに
一部において訴えられる。
ここに共通して言えるのは「信頼関係の不成立」があげられる。
ここが一番重要であり、これが全てだとも言える。
スポーツを知らないコメンテーターにスポーツの話しを振るから
ろくなコメントが出ない。そしてそれがまかり通る。
決して良いことではないのではないだろうか。
「メダル至上主義」だとか「勝ちにこだわる」ことが
否定的な流れになっていることが私には脅威だ。
それはなぜかと言うと、以前もブログで書いたとおり、
スポーツの精神は人生そのもののはずだからである。
辛いこと、痛いこと、理にかなわないこと、嬉しいことなど
全てにおいて「人生」なのだ。生きるということはそういうことだと思う。
どんなことに直面しても最終的には自分次第なのだ。
「強い日本をつくる」
ここのところ、よく耳にするフレーズだが
私はこのままでは到底難しいだろうと思う。
その前に強い人間を生み出す社会環境をつくることが急務だ。
スポーツはひとつのくくりで縛るのではなく、
楽しくやるスポーツ。
健康のためにやるスポーツ。
人生のためにやるスポーツ。
として、しっかりとスポーツのあり方を考えていくべきだと思う。
今後のスポーツ界に考えること。
①指導者と選手は主従関係であってはならない。
・当然選手が主である。主を生かすのが指導者である。
②選手の目指すものを明確にさせる。
・形や成績ではなくスポーツから得るべきものは何なのか。
③無責任な発言には耳を傾けない。
・自分の努力は自分のもの。人のためではない。
④なにより指導者は「信頼関係」に命をかけるべき。
・これがなければ強い人間はつくれない。
私はひたむきにスポーツに向き合っている人は競技に限らず応援者である。
心から応援をしたい。
そして、自分の得たものを是非未来を担う子ども達につないでほしいと思う。
それを社会まかせにすると、歪んでしまう。
スポーツ精神の根底にある、弱者を救う術がこれからの世の中を変えるはずだ。
P.S.
セクハラで思い出したが納得いかないのが、
部下にセクハラで訴えられるエロ上司と、
「あの上司セクハラだ!!ハゲおやじのくせに!」と、
これもまた訴えれば、明らかにセクハラな発言をする部下の
何とも信頼の無い関係だ。。。
私も娘にセクハラで訴えられないように
信頼関係を築きたいと思います。
これ!B・B!