⑤たった1人の同期仲間ー何でも話せる仲良しはたった1人で充分やねんで!-


彼との別れは誰にもいえなくなっていた。

会社では、木本先輩や、笹本部長も彼氏が関西から来ていることを知っていた。


それが、仕事に対しての励みだったのに。


なくなった。励みが。支えが。心の支えが・・・・。


とても、不安になりながらも仕事に必死になり始めた矢先、


木本先輩は奥さんと不仲、離婚したらいいのにってことばかり思っていた。


今、思うと、木本先輩のことが好きだったのかもしれない。


安心感をいっぱいくれて、何から何まで教えてくれる先輩に支えて欲しいとそう、願っていたのは


わたしなのかもしれない。


全てが、うまくまわなくなって、いっぱいいっぱいになったのは、同期で配属先が同じ、


田中 涼子との犬猿の仲もあった。


木本先輩はわたしの相談も受けたし、田中の相談も聞いてあげてたし。

先輩が間に挟まれて一番、辛かったと思う。


私は、もういちど、リセットしたくなった。


先輩に会社辞めて、大阪にもどりますと伝えた。


先輩は、「対策をねろう」といって


部長との面談をもうけてくださった。


部長が「同期で争うとしんどいね。やめるのはいつだってやめられるから」

「いちど人事と相談して、部署を移動してみる方法を考えます」


「大阪支社はむずかしいですか」


部長「都内配属は都内しかいけないわ」


わたしは強く大阪に帰りたいと願っていたのに

それは叶わないことだといわれた。


そんな、なか、同期はみんな田中と仲がよく


わたしは同期からも距離をおいていたとき。

新宿のオフィスで別の部署の事務の同期ではない、派遣の同じ年の子と仲良くなり始めた。


毎日毎日、メールや電話をしていて。


週に3-4日はごはんを食べて帰る仲になった。


その子は、藤原 さえ という。


さえのおかげで、だいぶ支えられて、東京で過ごせたと思う。


同期54名もいたけど、ひとりも仲良くなれないわたしなのに。


さえ だけはちがって、ほんとに信頼できる友達になった。


とても、感謝している。


友達、仲間は1人いたら、心の安心感がちがう。


みんな仲良くなりたかったけど。できないなら。


1人でも味方がいれば、強くなれるんだと、そう感じた。


さえ、ありがとう。


そして、笹本部長から人事異動の話を聞かされた。


今、思うと、笹本部長がわたしより田中をとったんだ・・、。と考えられる。


笹本部長はほんとうにいい女性の上司なんだけど。


でも、わたしを残してほしかったと思った。。。


そして、異動がきまり、一ヵ月後には異動することになる。


大好きな木本先輩と別れが一番辛かった。


こんな親身になってくれる先輩はどこを探してもいないとそう、思っていたから。



④配属先・与えられた仕事・上司との信頼関係・恋の行方


2004年4月1日 入社式を終え、上司 笹本 清美との動向の元

新宿newセンタービル 14階にやってきた 和矢子


とってもきれいなオフィスだった。

大都会を感じた。


武道館の横もすてたもんじゃない、あの桜並木は・・・


でも、新宿は、大阪でいうと、心斎橋やなんばのように

ガヤガヤしていて、人も多くて、百貨店もある。


大都会だってそう感じた。


さぁ?わたしの先輩になる


それこそ、教育係の 木山 直也 先輩に初めて会う。


ブサイクな顔、きつね顔だった。


背は低いし、年齢は30歳だ。わたしより7歳も上。


恐いんかなーという思いのほうが強かった。


部長にオフィスで働く先輩方々の紹介を受けて


そして7時頃、やっと開放された。


家の引渡しが4月2日だったので


その日は、九段下にある、ホテルに泊まった。


ホテルのレストランで1人で行なった


晩餐。オムライスがふわふわでとても美味しかった。


あしたから、仕事。


早く寝ようとそう、思った。


彼氏のまーくんもちょうど同じ日に、東京都内の某金融機関の入社式のあとに


同期との飲み会に行っていた。


私の借りたマンションはとても、新宿に近い、中野新橋。


彼の会社の寮は、津田沼という千葉の方にあった。


近いけど、逆な場所がちょっと気に食わなかった、わたし。。。。


帰りにちょっと会うとかがないから、とても寂しかった。。。


でも、毎週末は会える、そう思って、仕事もがんばろうと思っていた。


木本先輩はとても、優しく、電話応対から社会人の基礎知識まで徹底して教えてくれた。


わからなければ、わかるまで教えてくれた。


風邪をひいて寝込んだら、マンションの下まできてくれた。


いたせり、つくせりでナヤミゴトまで全部、受け止めてくれた。


そんな、先輩は新婚だったのだけど、奥さんが三ヶ月で鬱になり、実家に帰ってしまった。


先輩の仕事が忙しくなったのは、手のかかる、わたしのせいでもあったかもしれない。


先輩は日中に仕事ができないから、夜中1時までオフィスにいるような真面目なタイプだった。


風俗は絶対、いかないし。女遊びなんて、絶対しない。


ただ、単に仕事人間で、それは、会社が好きでがんばっているだけということと。

もちろん、奥さんと自分のためにがんばって、出世しようとしている姿たっだ、


先輩は奥さんとのコト少しずつ、休憩中に話してくれて、わかった。


そんな、中、、、、


まーくんとは5月まで の二ヶ月は、毎週末、わたしのマンションでお泊りに来てくれていた。


もちろん、関西にいたときよりもエッチは減ったが、週末は火がついたかのように


エッチばかりしていた。1日3回はがんばっていたと思う。


そんな中、彼が会社の女の子に好意を寄せているのにきずいてしまった。。。


携帯電話のメールを勝手にみてしまったのだ。


何回も会社の飲み会であっている、一般職の東京女。。。


そんな女のことデートの約束までしていた。。。


すごく悔しくて、、


激怒した。


そしたら簡単に「もう、俺ら別れよう」といわれた。


簡単だった。


彼はその子と交際したかったに違いない。


私は泣きながら、『もう一生会わないから。わかった:』と言って


泣きながら、電車に乗って、わたしは終電の東西線に駆け込み。


親友 もこ の会社のマンション 東洋町 までいったのだ。


あしたも会社いけないってくらい、なき続けた。


悔しくて、振られた自分と


エッチばかりしていた自分と


飽きられてしまったのかという自分に情けなくて もこ の前で涙かれるまで泣いた。

 ③東京都 九段下での入社式 -となりは武道館だよー


田舎から上京した、わたし。


兵庫も梅田や大阪があり、とても田舎とはいえないけど


東京の人の多さには驚かされていた・・・。


だって、毎日、花火大会??と思うほどの、電車でも人。人。人。


そんな、中、1人暮らしも決まり、とても、ワクワクしていた。


なんといっても、大好きな彼氏との距離も、、とても楽しみにしていたあの頃。


2004年4月1日 大手広告代理店の入社式にでる、和矢子。


配属先が発表されるのは、夕方の6時。


そのあと、所属部長が、オフィス案内してくれるとか。


今日は、一体何時に開放されるのだろうか。


楽しみとワクワクとドキドキが本当にまじっていた。


研修を終え、誓約書や銀行通帳・年金などの会社手続きを終え


さぁ、待ちに待った、配属発表が、生まれが早い人から順番に前に出て


配属通知書を受け取っていった。


わたしは、この広告代理店の花形営業になるんだろうなと思いながら待っていた。


夏 和矢子さん


はい!


前にすたすた、歩いていく。ドキドキで高鳴る胸をおさえながら。


『あなたの配属先は、新宿オフィスのPM営業部 コンサルティング 配属です。

部長兼課長の 笹本 清美さんについて、行って下さい。』


えーーーーーーーーー、花形営業じゃない。

しかも、武道館の横ではない。


コンサルって何??


しかも、やりて部長は美人な女性だ・・・・。恐そう。。。。。


そして、オフィス案内へ一緒に電車で30分掛けて、移動した。