#しあわせは色々なところにポツンとひとりで座っている
#ほんの一点シミがあるだけで、人格のすべてを否定する風潮があります
#人権とは誰の足も踏まないこと、そして誰にも自分の足を踏ませないこと
ネットを眺めていると、こんな言葉たちに出会うことがあります。
気になったからメモに書いて残して、今日この言葉をまた反芻しています。
自分なりの道具を使って、言葉の解釈を広げていきます。
#しあわせは色々なところにポツンとひとりで座っている
しあわせって、「わたしはしあわせ」って、大きな声で叫ぶものではなくて
ニコニコと笑った顔を想像するばかりでなくて
すごくいいことがあった、という特別なことではなくて
ポツンとそこに、ずっと座っていたものかもしれない。
だから、しあわせは、なるものではなく気づくもの。
#ほんの一点シミがあるだけで、人格のすべてを否定する風潮があります
顔に浮き出たシミは、もう消えないだろう。歳をとれば、それはわかる。
でも、シミは本当に汚点なのか?失敗はシミのままいつまで残るのか?
そもそも、その人の人格とは何なのか?
相手を否定するとは何なのか?ただ自分が嫌いなだけじゃないのか?
#人権とは誰の足も踏まないこと、そして誰にも自分の足を踏ませないこと
誰かの人権を守るためには、どんな人の足も踏まない。
自分の人権を守るためには、誰にも自分の足を踏ませない。
でも、世の中には自分を守り切れない、誰にも護られなかった人がいる。
だから、誰も置き去りにしない。
#しあわせは色々なところにポツンとひとりで座っている
#ほんの一点シミがあるだけで、人格のすべてを否定する風潮があります
#人権とは誰の足も踏まないこと、そして誰にも自分の足を踏ませないこと
その人の持ってる道具によって言葉の解釈は違います。
でも、それぞれ深く考えること、考えたことを互いに伝えること
これがとても大切だと思っています。
他人の考えを知ることで、改めて自分を知ることができます。
言葉が自分のものとなり、新たな行動ができるようになります。
面倒くさいですが・・・
一度お試しください。