【ちょとの気づきであなたは変わります】

 

「辛抱と我慢は違う」

コロナの影響で不自由な今 、磯野貴理子さんのこのコメントが心に響く。
 

 

「辛抱と我慢は違うんだよ。人間は我慢って言われちゃうと我が強い生き物だから出来ない。

でも辛抱なら辛いことを抱き締めてればいい。それなら出来るでしょ!今は辛抱の時!」

 

「辛抱って漢字で書くと『辛さを抱く』って書くの。だから辛抱しろっていうのは、つらさを抱きしめればいいのよ。ぎゅって。なんかできる感じがしない?辛抱って。」

 

石倉三郎さんの本から知った言葉だそうだ。

心が締め付けられるけど、『辛さをぎゅっと抱きしめる』って言われると、何だか素敵なことと思えてしまう。自分が愛おしくなる。

 

 

「我慢」は、怒りや理不尽を覆う。

だから「辛抱して」と言っても、「我慢して」とは私は言わない。

何故なら、我慢が抑えつけるのは大きなエネルギーだ。怒りや他人に対する理不尽な気持ちだ。大きなエネルギーを押さえつけるには、歯を食いしばる、さらに大きなエネルギーが必要だ。

 

辛抱が抱く辛さは、か細く弱々しい。爪に火を灯すような今にも消えてしまう命のようだ。でも手を添えて風から守れば暖をとることができる。

「我慢」は他人を見て、「辛抱」は自分を見ている。

どうにもならない理不尽を凝視するより、いつも自分を大切にしたい。

 

 

こんな漢字の違いから行動を表現することができる。

面白いものだ。

 

そして、「辛いのは幸せになる途中」と、手帳に漢字を書きながら相手を励ました人がいた。

「筆談ホステス」を書いた斎藤里恵さんの言葉だ。

 

こうして考えていくと、辛抱が素敵に思えるから不思議だ。