ブッダの「ノコギリのたとえ」は、

 

盗賊が両歯のノコギリで、あなたの手足を切断しても、決して怒ってはならない。相手の幸せを願え。

 

という非常識な教えだ。

怒りの煩悩を克服するために、このブッダの特効薬「ノコギリのたとえ」を服用せよというのだ。怒りがあるうちは悟れないからだ。ブッダの良薬は非常に苦く飲み込みにくいが、飲めば宿病は確実に治っていく。

 

おもしろいことに、ユダヤ、キリスト教にも、怒りを根絶するために「ノコギリのたとえ」とほぼ等しい効能をもたらす飲みづらい特効薬がある。

 

 

 

ブッダの「ノコギリのたとえ

旧約聖書の「復讐するは我にあり申命記32:35

 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。…侮辱をもって侮辱に報いず祝福を与えよと。ローマ人への手紙 12:19  聖書 新共同訳

イエス・キリストの右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい『マタイ』 5,39,40

 

仏教徒は、ブッダの「ノコギリのたとえ」の特効薬を確実に服用し、怒りの克服に努めよ。

ユダヤ教徒イスラム教徒は旧約聖書の「復讐するは我にあり」の特効薬を確実に服用し、怒りの克服に努めよ。

キリスト教徒は加えて新約の「右の頬を打たれたら…」等の特効薬を確実に服用し、怒りの克服に努めよ。
怒りがあるうちは、迷いの海で浮き沈みが止まず、救われないからだ。

 

 

 

【付記】

現代語仏教聖典 釈尊編 9章5節「不動の心」より引用させていただきます。
ブッダが弟子に教えを説かれた。

汝等なんだちよ、盗賊が汝を捕らえ、両歯ののこぎり四肢てあしを切断するとも、いかり、うらみ、にくんではならぬ。慈心じしんもって、相手を見よ。広大無辺の慈悲を以て、全世界をおおえ、
(引用終)

 


これだけ聞くと、ものすごい無茶な教えだ。
いったい誰が守れるだろう。

しかし、ブッダは続けて言うのだ。

汝等よ、余の語に大なり小なりの過誤があると思うか。

「否、世尊。」

然らば汝等は、余の譬喩の教訓を、繰り返して反省せよ。それは汝等に永遠の幸福と、利益とをもたらすであろう。
(同)
 
ポイントは、
ブッダのこの特効薬「ノコギリのたとえ」を服用すれば、どんな怒りからも自由でいられる。
ということだ。

 

 


むらむらと起る怒りをおさえられない人、自分の感情に引きずりまわされる人は意気地なしだ。
そういう意気地なし共が、図々しくも、世間の常識として
「怒るべきときに怒らない人間は意気地なしだ」
という。
怒りの必要と効用を信じる世間の常識は正しくない。
たった1度の怒りは、それまで積みあげた万徳をも一瞬で根こそぎ破壊する猛毒を持っているからだ。

 

(ブッダの感興のことば第20章11,12,15,18,19)より引用させていただきます。
他人が怒ったのを知って、それについて自ら静かにしているならば、その人は、自分と他人と両者のためになることを行っているのである。

自分と他人と両者のためになることを行っている人を、「弱い奴だ」と愚人は考える。──ことわりを省察することもなく。

集会の中でも、また相互にも、怒ってことばを発してはならない。
怒りに襲われた人は、自分の利益をさとらないのである。

怒った人に対して怒り返す人は、悪をなすことになるのである。
怒った人に対して怒らないならば、勝ち難い戦にも勝つことになるであろう。

怒らないことによって怒りにうち勝て。
善いことによって悪いことにうち勝て。
わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。
真実によって虚言にうち勝て。
(引用終)

 

気づきのポイントを、理不尽な相手から、そんな相手に懐く自分の怒りの方にずらしてください。

憎い相手を目の前にしては、なし難いことだが…なんとか出来る様になる必要がある。

 

Gandhi (5/8) Movie CLIP - Not My Obedience (1982) HD


www.youtube.com

 

ガンジーは

「怒りと戦って下さい」と言ってる。

 

誰の怒りか。

To fight against their angerと言ってるから

イギリス人のか?

 

違う。

自分の怒りだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 (My Favorite Songs) 
Paul McCartney - Band On The Run - Good Evening New York City