毎日の日課の、猫との夜の散歩。


月が綺麗だなぁ、と眺めていたら入ってきたメッセージです。


よろしければどうぞ昇天






「月が綺麗に見える」ということは、“私”と月の間に遮るものがない、ということ。



何百光年という遠い星でも、そこに遮るものがないからこそ“見える”のだ。




“私”と宇宙は繋がっている。


地上では100m先のものも見えないのに、何百光年も先のものが見える、というのは面白いだろう?




見えなくするのは、いつも“自分”だ。




地上ばかり見ていたら、“私”が宇宙の一部だと実感することはできない。


しかし星を見上げるだけで、いとも簡単に「宇宙の一部だ」と感じることができる。




“私”は宇宙の一部なのだ。


壮大なエネルギーの一部なのだ。




月が人体に影響を及ぼすように、“私”も影響し合っている。



宇宙全体の営みからすれば、“私”の感じている重いエネルギーなど、些末なことだ。


恐れることはない。




人間特有の、重くて、ドロドロとした、暗くて、ジメジメとした、不快なエネルギー。



そこに何を感じるのか。そこから何を得るのか。




“他人”という比較対象があるからこそ、“自分”を測ることができる。


“不快”を感じるからこそ、“快”が分かる。




星が丸いのは、エネルギーのバランスを保ち続けるヒント。



他からのエネルギーを受けても、“球体”は受け流すことができる。


球体だから、“芯”がブレることもない。




受け止めるのではなく“受け流す”。




頭上でうごめく、大きなエネルギーを感じているだろう?


竜巻が生まれる瞬間のように、漏斗は些細なきっかけで現れる。



怖がらなくていい。



ただ身を任せればいいのだ。