今朝のメッセージです。


私が直面している、この先のお金の不安ついて。

よろしけれはどうぞ昇天






「自分の将来を何とかしなくちゃ」と焦るのは、

誰かに対して「私が何とかしなくちゃ」と思うのと同じ。



「自分には何とかできる力がある」「全てうまくいく」と“信頼”していないからこそ起こる不安だ。



全てうまくいくと分かっていれば、不安や恐れは湧いてこないはずだ。




「頭では分かっている。でも…」というのは、体験がないから当然のこと。



人間は、未知なことを“怖い”と感じる。



だが一度経験してしまえば、カウンセリングと同じように「みんなそうすればいいのに」と思う。



飛び込むのも同じこと。


飛び込んでしまえば「みんな飛び込めばいいのに」と、それが“普通”になってしまう。



それだけのこと。




それが“お金”に関することだから、より強く怖さを感じるだろう。



“お金”は、この地球でのゲームを、より複雑に、難易度を高くするための“道具”にしか過ぎない。


ゲームプレイヤーが、それだけレベルアップしている、ということでもある。



お金のルールは、より地球を楽しむための“要素”に過ぎない。




急いで仕事を探して、今まで通り働いたっていい。


ただ、向き合わなければ、この“お金の課題”はずっとついて回る。



課題をクリアするために、同じような感情を感じ、同じような苦しさを味わう。



それも今まで通り、変わらないのだ。




変えたい、変わりたいのであれば、どこかで“今まで通りのやり方”を手放す必要がある。




今、“私”は「今まで通りのやり方を手放してみようかな?」というところに立っている。


だからこそ、未知のものに対する“怖さ”を感じている。



その感覚もしっかりと味わうといい。


その感覚を味わうために、“それ”を経験しているのだから。



その感覚をしっかりと味わわずにいたら、結局“今まで通りと同じ”なのだ。



不快な感情こそしっかりと味わう。


今までそうしてきたように。




人間関係の不快な感情も、お金に対する不快な感情も、向き合い方は一緒だ。



その“嫌な感じ”にしっかり向き合ってきたからこそ、人間関係に関する思い込み、自分に関する思い込みが外れた。


お金もそれと同じなのだ。




「頭では分かっている」だけでは、何も変わらない。


意味がない。



そのままでは、結局今までと同じ繰り返しを味わうことになる。



その不快な感情を味わうために、不快なことが繰り返し起こされるのだ。



お金についても、同じなのだ。


お金だから特別、そんなことはない。




潜在的な“恐れ”。



それに気づいて、手放していく。


そして、“本来の姿”へ戻っていくだけ。



それが、この地球でのゲーム。




なにも、“力”を失っているわけではない。



「自分には何もできない」「自分はダメで、ちっぽけな存在だ」と“錯覚すること”が、このゲームを楽しむための前提条件なのだ。



ただただ、ドラマチックにゲームが展開していくための、一つの要素に過ぎない。




ゲームをする時、攻略本を見てしまうと、途端につまらなくなってしまうのと同じだ。



何が起こるかわからないからこそ、面白い。



ひとつ違うのは、一度ゲームオーバーになってしまうと、“全く同じ設定”のゲームを楽しむことはできない、ということだ。



人生を楽しんで。