以前、「お金は道具」「お金はエネルギー」などと書いたことがありましたが、頭では分かっていても、腑には落ちていない状態でした。



今また「お金が無い」を繰り返し味わっている自分がいる。


何がそうさせるのか?お金に対する思い込みについて深掘りしていたら、たくさんの気づきがあったので書き留めておきます。




買い物依存や、ろくでなし彼氏に貢いでいた以前の私は、「お金が無い」からの「私はダメ人間だ」を味わうために、無意識的に行動していました。


ゲーム交流ですね。



でも、もっと深い潜在意識での思い込みを手放さなければ、“引き寄せ”など全く意味がないのだと、今回気がつきました。




すでに、ある程度の思い込みには気がついていましたが、



「私(の家)はお金持ちでは無い」

「むしろお金が無い」

「だから一生、お金に苦労する」 


「お金が無いことは恥」



という、ベースになる思い込みが出てきました。



そして、「お金が無い」を通して、私の存在自体を“恥”だと思いたがっていた。




今回の「お金が無い」に関しては、強制的に向き合わされている感じがしました。



さらに深い部分の思い込みに気づくため。

そしてそれを手放すため。



「必要なタイミングで、必要な出来事が起こる」という視点で見れば、とうとうここまで来た、ということです。




せっせと山道を登り続けて、「ようやく目的地に辿り着いた」と思ったら崖っぷち。


もう、観念して飛び込むか、後戻りするかのどちらかしかない。



でも、バンジージャンプのように、大丈夫だと分かってはいる。



怖さを感じる自我との、最後の葛藤なのかな、と思います。




それから、“豊かさ”と言うと、つい“お金”のことを思い浮かべてしまいますが。



ふと、「確かにお金はないけど、私には豊かな知識や経験、内観や洞察の優れた能力があるじゃないか」と気がつきました。



目に見えないけれど、それらも確かな“財産”。


お金では買えない、貴重な財産です。



「私は豊かな財産を持っている」と、初めて心から思えました。




私たちは“自分”の大きさを、実体のある“体”の大きさでしか認識していません。



でも、思考、感情、記憶、ひらめき、想像力といった、“目に見えないもの”を含めると、それこそ宇宙的な規模。



その“本来の私”の姿を認識したままだと、この地球でのゲームは成立しない。



だから自分のことを「ちっぽけな存在」だと思い込む必要があるんですね。




「そういう事かぁ…」と思ったら、崖っぷちの向こう側で、みんなが祝福と、飛び込む応援をしてくれているイメージが入ってきました。



“みんな”とは、父や祖父母、その他大勢の“あちら側”の存在たち。



飛び込むのを応援してくれてはいるけど、飛び込んでも、やめてもいい。


それによって彼らの態度が変わる訳でもないし、「ただ、感じたいことを感じる」それだけのこと。




そして私たちは、「成長している」と思っているけど、本当は“本来の姿”に戻っていくだけ。



そのために、予め設定したキャラクターを演じ、イベントをクリアしていく。



だから、「ゆだねていれば上手くいく」んですね。



元々、本来の姿に戻っていくように、イベントを設定してあるだけだから。




ここ2、3日の間に、たくさんの気づきが一気に押し寄せてきたのですが、やはりいいものですね。



算数の問題が解けた時の感覚に似ています(笑)


問題が解けないと、ただただ苦痛でしかないですが、問題が解けると楽しくて仕方がない。



人生もそんなもんなんだと思いますにっこり



それでは。




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