今日はなぜか、急きょ兄妹3人で山を散策することに…
私は山間部に暮らしていますが、山に入ることは滅多にありません。
幼い頃に、父とタケノコ掘りに入ったりだとか、探検しに入ったぐらいですかね…
同じように姉も、幼い頃に父と山に入った記憶があるようで。
突然、「あの神秘的な沼に行きたい!!」と言い出して(笑)
40年ぐらい前の姉の記憶を頼りに、3人で獣道を登って。
幼い頃、同じように兄妹3人で探検したのを思い出しました。
本当に小さかった私は、2人について行くのに必死で(笑)
「40年経っても同じだなぁ…」と、また2人の背中を必死に追いかけながら、なんだか嬉しいような、優しいような、暖かい気持ちになりました。
で、そんな気持ちを忘れたくなくて、書き留めておくだけの記事です(笑)
姉の言っていた、神秘的な沼↓
残念ながら、40年の間にずいぶん変わってしまったようです。
沼と言うより、大きな水溜まり。
水道のタンクが近くにあるので、地下水が吸い上げられて、湧水が出なくなったのだと思います。
沼の周りに生えていたのも、杉ではなく竹林だったそう。
沼のほとりに、小さな祠。
「あ、呼ばれたんだな」と思いました。
別の場所に神社もありますが、おそらくここが、この土地のスピリットの本拠地?なんだろうなーと。
御神木がまた、そんな存在感を放っていました。
帰ってきて、「何で呼ばれたんだろう?」「何で今日なんだろう?」と考えていたら、
「父の日だから」
と、久しぶりに父からメッセージが。
「父の日?なんで?」と思ったら、大きな“愛”の感覚が入ってきました。
これは言語化するのが難しくて。
あえて言葉にするなら「いつも一緒にいるよ」なんですが…
「一緒にいる」というよりも、「あぁ、ひとつなんだな」と感じました。
見えなくても、確かに、そこに、大きな“愛”が存在している。
父も私も、兄も姉も、その大きな“愛”の一部。
そしてこの土地のスピリットも。
「これが“愛”なのか」という、初めてのような、でも知っていたような、不思議な感覚。
嬉しさとも、悲しみとも違う。
でもどちらとも言えるような、複雑な感情が一気に押し寄せて、涙が溢れていました。
と、いうだけのお話です(笑)
だからといって、何か特別な変化もありません(笑)
ところで全然関係ないのですが、知人が「縁切り神社」の話をしていて。
それを聞いた別の方が、「悪い流れを断ち切りたい」と言っていたのが気になってしまって。
縁切り神社、確かにそういう力があるのかもしれません。
でも、「良い縁・悪い縁」「良い流れ・悪い流れ」というのは、あくまでも人間が“勝手に”決めつけている「良い・悪い」に過ぎません。
その人にとって“良い縁”だと思い込んでいても、もっと高い視点から見たら“悪い縁”…
と言うよりも、「経験する必要のないモノ」の可能性もあります。
「良い・悪い」は幻想ですからね。
“悪い流れ”と感じているモノが、実は“良い流れ”、必要な経験だったりもする。
それを理解せずに行ってしまうと、逆に「運気が下がった」とか「ご利益がない」と感じてしまうことになるのになぁ、と思いました。
何事も自分次第。
幸せを神頼みしても、何も変わらない。
それではまた