今回は、スピリチュアルなことに関して、今までなんとなく分かってきたことを、自分なりにまとめてメモしておくだけの記事です。
定期的にアウトプットしておかないと、すぐ頭の容量が一杯になっちゃいますからね…
読んでいただいても結構ですが、たぶん面白みは皆無です
左回転の世界が存在するのなら、右回転の世界も存在する。
陰と陽、ポジティブとネガティブ、光と闇etc…全てが表裏一体であるなら、右回転の世界と左回転の世界も表裏一体なはず。
真逆な性格の同じ人間?真逆な環境の地球?
“意識”は無限なのだから、世界も「ふたつだけ」ではなく、無限にあるはず。
すべての世界の“私”は影響し合っている。
どこかの私が“陰”に偏れば、別のどこかの私が“陽”に偏ってバランスをとる。
二元論的な視点や思い込みから外れて、“中庸”になる
→偏りがなくなり、どの世界の自分も中庸になる
抵抗がなくなるため、他のパラレルの意識や高次元にも繋がりやすくなるのでは?
ハイヤーセルフ、ガイドetc→過去や未来の自分、他のパラレルの自分である可能性も
過去や未来も並行している。
意識は自在に移動できる。
過去→現在→未来ではなく、過去↔現在↔未来
過去の出来事に囚われている時は、“過去を生きている”状態
人より2、3歩先を行く人は“未来を生きている”人
同じ空間にいても、見えている世界は人それぞれ違う。
これもパラレルワールドといえる。
一般的に崇められている“○○神”等は、崇める対象を作ることで“上下”を作り、人々をコントロール下に置くために創り出されたもの。
たとえ“○○神”が存在していたとしても、元々はひとつの大きな意識=“私”であり、対等な存在である。
不安や恐れ、タイムラグ、肉体、重力、“言葉”でしか意思の疎通ができない、というのは、ただの“設定”。
五感を使い、感情を揺さぶる“体験”をしに来ているに過ぎない。
周波数が低い=悪いこと、ではない
逆に“設定”にどっぷり浸り、よりゲームの世界を楽しんでいるといえる。
「人は2度生まれる」
1度目は、母体から
2度目は、自我から
自我から自由になるとき、“私”は靴下のように裏返り、新しい“私”になる。
この世界はパラドックス・逆説的にできている。
“常識”は思い込み、刷り込みに過ぎない。
執着は“足かせ”でしかない。
「こうなりたい」「あれが欲しい」と願っているうちは叶わない。
使命、課題、カルマと言われるもの
→この世界で「やっておきたい」と、純粋に“決めてきた”こと
重たいものでも、ネガティブなものでもない
生きている間に全てを知ろうとする必要もない。
「一時的に忘れている」という“設定”なだけ。
意識の世界に戻れば、全てが分かる。