「人間の欲」、すなわち自我(エゴ)と呼ばれる意識が求めるものって、いつの時代でもあまり変わらないんだな、と、こちらのブログを読んでいて気がつきました。
毎日食べるものがあって、安心して寝られる場所があって、清潔な衣服を着られる。
本来はそれで充分なのだと思いますが、それが当たり前になると、もっと美味しいものを食べたい、もっと快適な暮らしがしたい、そのためのお金が欲しいと、欲がむくむくと湧いてきます。
さらにはより良いパートナーを、より贅沢な暮らしを、より多くの承認を、財産を…
そして最終的には、不老不死や若返りを求める。
「不老不死や“若返りの泉”なんてあり得ないw」と鼻で笑うかもしれませんが、現代ではそれに代わり、美容クリニックや様々なサプリメントなどに“若返り”を求めて多くの人が群がります。
アルツハイマーの発症を遅らせる薬まで登場しました。
これはもう、“若返りの泉”を求めたかつての権力者たちと、何も変わらないですよね。
今ではお金さえ出せば、見た目の若さをキープすることができるようになりました。
医療も発達して、何かあっても「病院に行けば大丈夫」と思っている人がとても多い。
さらには「死ぬなんて縁起が悪い!」と「自分は死なない」とまで思いこんでいる。
でも、それらはすべて一時しのぎ。
確実に身体は衰えていくし、すべての人は等しく死を迎えます。
若さをキープできたからといって、幸せになれるとも限りません。
むしろ、老いや他人からの目に常に怯えたり、お金ばかりを追いかけていては、幸せとは程遠いですよね。
そしていざ死を目前にして「こんなはずじゃなかった」と嘆く…
今の日本では、“足りない”にばかり目が向いています。
快適な暮らしができて、スマホもあって、働けなくても生活保護なども受けられます。
でも、自殺する人は増える一方。
身の回りを見渡しても、「幸せ」と感じられている人は少ないですよね。
こちらのYouTubeでは、様々な国のリアルな生活を配信しているのですが、
“発展途上国”と呼ばれる国では、ゴミ山でゴミを拾って生活している人、残飯を集めて、それを食料として生活している人などが紹介されています。
劣悪な環境で生活しているのですが、そこに暮らす人たちの表情は明るく、幸福感も高いようです。
恵まれた環境にいる人が“不幸せ”と感じ、劣悪な環境に暮らす人が“幸せ”と感じている。
何だかあべこべのように感じますが、「足りている」と感じられるかどうかが、幸福感と直結しているということですね。
お金、仕事、パートナーシップetc…
“幸せ”を求めていたはずが、いつの間にか“不幸せ”を感じていることって、よくあります。
「もっともっと」と感じた時、本当に足りていないのか?少し立ち止まって、客観的に見直す習慣をつけると良いかもしれませんね

それではまた。