3月の中頃、あるアイデアをひらめいたのですが、なかなか行動できない私。
「何だかんだで忙しくて…」というのは、ただの言い訳。
本当は「行動できない」のではなく、「行動しないのだ」と気がついたので、教育分析でお話してみました。
アダルトチルドレンを克服して、ずいぶん思考や感情はポジティブなのですが、「これ絶対おもしろくなる!」とか「これ絶対うまくいく!」とわくわくしつつも、体がついてこない感覚。
“以前の私”が怖がっているんだな、と感じました。
何にそんなに怯えているのか…
お話していると、“恥”というキーワードが浮かんできました。
そう、「うまく行かなったら恥をかく」ということに怯えていたんですね。
“恥”の感情と結びつく記憶はまだ出て来ないですが、おそらく幼い時に、みんなが見ている前で恥ずかしい思いをして傷ついたのだと思います。
自分でケアする術も知らなかったし、フォローしてくれる大人もいなかった。
小学生〜中学2年生まで、人前で発表したり、クラスの役員など、“目立つこと”を極端に避けていました。
何もしなくても、身長が高くて目立ってしまうのが本当に嫌で嫌で、すっかり猫背に。
でもそれとは裏腹に、堂々と自分の意見を表現したり、リーダーシップを取ることに憧れの気持ちも持っていました。
「自分だって上手くやれる」と思いながらも、注目はされたくない。
そんな矛盾を抱えていました。
しかし中学3年生の時、いきなり学級委員長に推薦され、そのまま多数決で委員長をやる事に…
今思えば、「適している」と思われていたから推薦されたのですが、いじめの経験もありましたし、当時は「クラス全員で嫌がらせをしているのでは?」と感じたんですね。
それだけ、“人前に出る=恥”だと捉えていたんです。
結果的に、委員長をやった事や、同じく中3の時のディベートの授業(これは本当に感謝しかない)などが“成功体験”となり、目立つことを「極端に避ける」ということは無くなりましたが、やはり「上手くやらなくては」とか「失敗したら格好つかない」という思いは大人になっても強いままでした。
これは“完全であれ”の影響も強いところです。
最近では、「失敗する事でしか学べないことがある」と捉えるようになり、“恥”の感情のことはすっかり忘れていたのですが…
やはり自分で行動を起こすとなると、それなりに抵抗があるようです。
しばらくはこの“恥”の感情と向き合っていくので、また変化があればお伝えしていきますね。
なにかの気づきのきっかけになれば
それではまた。