今日は“境界線(バウンダリー)”について。
私が心理学を学んだ学院のYouTubeを見ていたら、境界線について対談していました。
「私はどうやって引けるようになったっけ?」と思ったので、少し振り返ってみようと思います
肉体的な“パーソナルスペース”のように、精神的にも「入られると不快な領域」があります。
肉体では、他人と密着することまではできても、混ざり合うことは不可能。
でもそれが精神的なものになると、自分の領域に侵入されたり、他人の領域に侵入したりして、混ざり合うことができてしまうんですね。
これも“アダルトチルドレン”の影響です。
本来なら、侵入されると不快なはずなのに、幼い頃から侵入され続けていると、それが“親密”だと勘違いして思い込んでしまいます。
自分と他人との“境界線”が薄く、曖昧なんですね。
例えば、誰かに「あなたのため」と意見を押し付けたり、押し付けられたり。
対等なはずなのに、主導権をにぎろうとしたり、されたり。
相手の気持ちや都合を考えずに、自分の話を延々としたり、されたり。
頼まれてもいないのに、身の回りのお世話をしたり、されたり。
侵入される側はNOと言えないので、限界まで我慢しますし、侵入する側はどんどんエスカレートしていきます。
友人でも恋人でも、ある程度仲良くなるとなんだかしんどくなったり、ギクシャクし始めるのは、お互いの境界線が曖昧で、侵入されることに不快を感じるからなんですね。
侵入される側は、NOとは言えないけど侵入されたくもないので、はじめから境界線を“しっかり引きすぎる”こともあります。
先日書いた、“回避依存”もそんな状態。
線ではなく、壁を作ってしまうんですね。
侵入する側は、相手にも同じように侵入してくることを求めたりもします。
束縛し合い、「ベッタリな状態」が親密だと思い込んでいるからですね。
説明だけで長くなってしまったので、また次回に続きます