前回に続いて、父の“最期”のことを思い出しています。


私はリアルな夢でも見ているような感覚でしたが、そんな中、

「なんだぁ、死んじまったのか」
「せっかくのヘリだぞ〜!」
「ほれほれ、海が見えるぞ〜」

と、状況にそぐわないけれど、“父がまだ生きていたら言いそうなこと”が次々と頭の中に入ってきました。

その時はもちろん、「なんだこれ?」なんて感じる余裕はありませんでしたが。

「そうか、父との最後の思い出になるんだ」と、ヘリからの景色を目に焼き付けておこうと思いました。


すると、いつも見ている山の反対側が、大きく削られているのが見えました。

採石場があったんですね。

いつも見えている景色は、子供の頃とそんなに変わらないけれど、山の反対側ではどんどん山が削られていた。

別の場所には、ゴルフ場もあります。

「これじゃあ動物たちも、下りてくるしかないよね…」

この事を伝えたかったのか、もっと別の意図があったのかは分かりませんが、かみんごさんのブログを読んで、「そうか、ヘリからの景色は、父が見せてくれたのか」と思いました。

父が亡くなってから「父とつながりたい」と思い、かみんごさんの娘さん達のセッションも受けましたが、「その時すでに、無意識に父と会話をしていた」ということにも気がつきました。


私は幼い頃から、「父の死に目に会えなかったらどうしよう」といつも不安に感じていました。

それは、生まれてくる前に父と、「父の“最期”に立ち会う」と約束していたからだと思っています。

父だけでなく、祖父とも祖母とも、みんな突然の“お別れ”でしたが、3人の最期に立ち会えたのは“偶然”じゃない。

立ち合えなかった人は“立ち合えなかったこと”で、色々と思うことがあると思いますが、それもまた計画のうち。

たとえ血のつながりは無くても、“魂のつながり”ってあると思いますし、“最期”や“お別れ”は、肉体を持った人間同士のつながりから、少しカタチが変わるだけ。

今はそんな風に考えています。


もしかしたら、私たちが気が付かないだけで、“お別れ”の時には、みんなこうしてプレゼントをしてくれているのかもしれないですね昇天

それではまた。