こちらのブログを読んで、しばらく”生きる意味”について考えていました。


つらい出来事があった時などは特に、「私は一体、何の為に生きているんだろう」と考えてしまいます。

「魂の成長のため」「幸せになるため」「使命を全うするため」などと言われますが、どれも正解であって正解でないような気もしますね。


人間は知能が発達したおかげで、あらゆる事に“意味”を持たせようとします。

“よく分からないもの”には、脳が不安を感じるように出来ているからなんですね。

例えば、誰かに「好きだよ」と伝えた時。

相手から「なんで?」「どこが?」などと聞かれたりした事はないですか。

それは「他人の感情」という、“よく分からないもの”を明確にしたいから。

本来は「好き」に理由なんてないはず。
「好き」だから「好き」ですよね。


それと同じように、「生きる」ことにも理由なんてなくて、「生きている」から「生きる」だけ。

死ぬときが来たら、死ぬ。
本当は、そんなシンプルなことかもしれませんね。

数学のように、はっきりとした答えが出るものなんて、実は“ほんの一部”に過ぎません。

ほとんどの物事は、正解があるようで無いものです。

何にでも“答え”や“理由”を見出そうとすることも、人を苦しくさせる原因のひとつかもしれません。


不安、怒り、恐れ、悲しみ、失望…

悩み、もがき苦しむことは、“ネガティブなこと”と捉えられがちですが、実はとても素晴らしいことなんじゃないかと、「田園」を聴いていてふと思いました。


悩み、もがき苦しむからこそ、「生きている」と実感できる。

悩み、もがき苦しむからこそ、喜び、幸せ、感謝、安らぎ、希望を見出せる。

私は、それらを味わうことが“生きる意味”なのかな、と思いました。


みなさんは、“生きる意味”どう考えますか?


それではまたにっこり