昨日に引き続き、グリーフケアの必要性について。



遺された方々が思い悩む一番の原因は、もう故人との意思の疎通ができないという所にあります。



生きている時は、相手の思いを聞いたり、自分の思いを伝えたり。


誤解があっても、話し合って解決することができますが、相手が亡くなってしまうと、そういう訳にはいきません。


「ごめんね」も「ありがとう」も伝えられない。



私は、心残りに折り合いをつける作業として“供養”があるのだと考えています。



供養は故人のためのものと思われがちですが、故人のために冥福を祈ったり、好物をお供えすることを通して、「もっと何かしてあげられたのに…」という思いが浄化していきます。



余談ですが、私はお葬式が簡素化されているのが少し気がかりです。


家族にとっては楽かもしれませんが、「お別れの挨拶をしたかった」という方々の思いは浄化されないままになってしまいます。



亡くなった社員さんは身寄りが無かったため、葬儀もお墓もありません。


私は「今から供養しませんか?」と提案させて頂き、その場にあったお酒とタバコを用意して、一緒に手を合わせました。


お仏壇やお墓が無くても、特別なことをしなくても、故人を想って手を合わせるだけで、充分“供養”になります。



ここからは少しスピリチュアルな話になるので、興味のない方はここで閉じて下さいね。



お話を聞いている間、故人の感情や思いにすごく共感?共鳴?したのですが、手を合わせていると、頭の中に故人からの言葉が入ってきました。


Aさんは元々スピリチュアルは全く信じない人なのですが、その言葉を伝えると「そういうこと言いそう!」と受け入れて下さいました。



私は悲しい訳でもないのに、故人の意識が入ってきたことで涙が溢れてしまい、心理カウンセラーとしては失格なのですが、グリーフケアでは、それも有りなんじゃないかと思います。


「泣いても良い」というモデリングになるからです。



やはり、泣くことは一番の感情の浄化になります。


Aさんも、言葉を伝えると涙が自然と溢れて、「なんかすっきりした!」と笑顔を見せて下さいました。



自分の経験からも、故人からの言葉が一番の癒しになると感じていたのですが、今回、確信が持てました。


いつでも何処でも、誰からでも、亡くなった方からのメッセージを受け取れるようになれたら、より効果的なケアができるのに…



「私にはムリだろうなぁ…」と思っていたのですが、今回の経験で「できるかもしれない」に変わりました。


でもこれは特別なことではなくて、誰もが故人と繋がれる可能性があるんですね。




そんな世界になったらと、切に願います。


長々と書いてしまいましたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。



快くブログに書くことを承諾して下さったAさんにも、この場を借りて御礼申し上げます。


ありがとうございました✨



それではまたにっこり