受験ブログに定番のトピック、どうする「くもん」。サンプル母数が少なすぎて(だってN=1だもん)、統計的な有意性はまったく保証できないけれど、よく巷の「教育ママ」が推奨しているとおり、幼年期〜小学2, 3年生くらいまで「くもん」に手をだすのは基礎学力を論じる以前の「態度形成」、とくに算数に苦手意識をもたせないための打ち手としてかなり有効なのでは?と思っている。

Kizax長男は、小学2年(2017年)の6月から始めた。遅めのスタートだったと言えよう。約1年2ヶ月(2018年9月からは毎週のように模試なので休会中)にわたって「算数」に絞って「くもん」を続けてきた。

書道と同様に、妻が始めさせたいと言いだし、(これまた書道と同じようにさして深く考えもなしに) 「まぁ、何が得意か分からないわけだし、なんでもトライしてみたらいいんじゃない?」くらいの考えで見守ってきた。

はじめはまずAというグレードから。小学2年だったにもかかわらず、小学1年生相当のレベルから戻ってのスタート。

「実学年より戻ってスタートかよ…。」と、最初はやや懐疑的だった。1日あたり5枚ずつ、教室に行かない日も家で5枚は宿題。土日もしかり。

ある単元をマスターしたかと思えば、また同じプリントを繰り返す反復学習。「3歩進んで2歩さがる」みたいなスローペース。あまりに反復回数が多いから、「もう計算しなくても、答え覚えちゃったよ…」ということさえあった。パパとしては、「もっとガンガン先に進ませてくれたらいいのになぁ」と感じていた。

でも、「継続は力なり」の金言のとおり…


Aからスタートして…


ジャスト1年後には…


H ‼︎


A→B→C→D→E→F→G→H=中学2年相当(二元連立方程式) ‼︎




5学年分も先取り?

いや、実際には、そうとは言えない。
文章題もなければ、平面図形・立体図形やヒストグラムの読み取りなどはバッサリ削ぎ落とされている…。

反復によって「計算問題だけに学習対象をしぼり、典型的なバリエーションを経験さえ、反復によって運用力を定着させている」だけとも見れる。

くもんが意図する学習のゴールは、いち早く「微積分」ができるようになることらしい。内心、「ビジョンがちっさいなぁ…」とずっと感じてきた。

論理的思考力を鍛える、多角的な解法アプローチを試みる、手を動かしながら考える数え上げや作図、規則性の発見といった要素は皆無。

おまけに、1枚あたりの時間(スピード)を意識させるから、正確性もいまいち…。

きっとみなさんの周りにもいたはず(あるいは、いまもいるはず)。2,3年生なのに、公文で5,6年生レベルの内容をやっていて、そのあと急速に算数の成績が目立たなくなってきた子ぼけー
果たして、意味はあるのか??

結論としては、やっておいて良かったと思える。
またも機会を与えた妻に感謝 m(_ _)m

Kizaxの見解では、くもんを通して得られる最大の効用は、「おれって、やればできるんじゃない?」
みたいな自己信頼感を本人が獲得したことだろう。

加えて、「がんばれば、いくらでも他の人より先に進める」というペースが完全に自由な世界における優越感。

くもんのおかげで、基礎的な計算力は確かにばっちり!

12月以降どうするべきか?塾に入ったら辞めたほうがいいか?こんなにも先取りが進んだのに。悩ましい。
夫婦で話し合わないと…。

Kizaxは「そこまで進んだなら、中学数学の醍醐味であるピタゴラスの定理まで見せてあげたいよなぁ」と思ったけど、図形問題はカリキュラムに含まれないんだろうし。悩ましい。