今回はちょっと長いよ。
どうも!
パナマ帽はエクアドル発祥らしいです。
エクアドルなのになぜパナマ?知ってる人いたら教えて下さい。
40数日滞在したペルー。
最後に訪れたのはトルヒーヨ(TRUJILLO)という、遺跡で有名な北部の街。
サラリと観光してサラリと通り過ぎる予定だったのですが。
が。
主都リマのバスターミナル。
深夜発トルヒーヨ行きのバスをぼんやり待っていた私達。
と、後ろから突然声をかけられました。
「日本人ですか?」
そこに立っていたのは2人のペルー人青年。
なんでも2人は兄弟で、今日本の群馬で働いており、今回は5年振りの里帰り。
これから私達と同じバスで実家のあるトルヒーヨに向かうとのこと。
なんだかんだと話していて聞かれた。
「トルヒーヨではどこに泊まるの?」
「まだ決めてないよ」と私達。すると、
「じゃあうちに泊まったらいいよ。」
うち???
たった5分前に会ったばかりだよ?
どこの馬の骨ともわからない2人だよ?
それでもゼヒ、と言われ、じゃあお言葉に甘えて、と、
ひょんなことからトルヒーヨでのホームステイ決定!!
日本を離れて4か月半。ほら、もう最近日本的遠慮心とか体内から消えてるから。
で、トルヒーヨ。
ノコノコと2人に付ºいて家へ行く。
2人を出迎えた家族親戚一同ビックリのご様子。
そりゃそうだ。5年振りに帰ってきた息子達が見知らぬ日本人連れてるんだから。
それでも暖かく迎えてくれ、皆の親切に甘えて結局4日間、居候させていただきました。
お兄ちゃんのジョエは29才、同じ年。
彼がこの4日間、つきっきりで遊んでくれました。
遺跡に行ったり、ビーチに行ったり、市内観光連れてってくれたり。
家族との会話の時は通訳してもらい、何か必要なものがあったら言ってねと、いつも気にかけてくれていて。
こんなに良くしてもらっていいのか?
しかも滞在中、私達1円もお金出してないし。
本当にいいのか???
さすがに食事代とかは出すよ、と言ってもかたくなに受けとってくれず。
押し問答の末、ジョエはこう言った。
「日本はぼくに働く場所をくれて、ぼくは感謝している。
だから日本にはお返しをしたい。
だから気にしなくていいから。」
(iДi)ダ--------------
こう言われてふと思い出したことがある。
イギリス留学時代、とてもお世話になった先生がいた。
いつも、誰に対しても親切で親身になってくれる人だった。
どうしてそんな風に人にしてあげられるのか、誰かの問いにこう答えた。
昔若い頃、世界を放浪していた頃、ベトナムの片田舎で手持ちの現金が尽き、空腹で、街まで帰ることもできず途方に暮れていた。
その時、みすぼらしい格好の老いた農夫が声を掛けてくれ、自分の状況を彼に話した。
すると農夫はちょっと待っていろ、と言い、しばらくして沢山の食べ物も抱えてやって来てそれを彼に渡し、街までのバス代を払ってくれようとした。
農夫は明らかに貧しく、そんなことをする余裕があるとはとても思えなかったから、、彼は
「この先あなたに会えることは無いだろうから、こんなことをしてもらってもお返しすることができない。
だからこれは受け取れない。」
そう言って断わろうとした。
すると農夫はこう言った。
「私に返す必要はない。
この先どこかで困っている人がいたら、その人に親切にしてあげればそれでいい。」
それ以来、彼はできるだけのことを誰に対してもするようにしている、と。
この話を聞いた時、自分がこれまで受けた親切を考えて、コウイウ気持ちをもっていきたい。
そう思ったのがもう8年前。
思ってはいるんだけどさ、桔構忘れがちになってしまって、
それで後から自己嫌悪、っていうのがいつものパターン。
でも今回またハッキリと思い出さされましたよ、ジョエとジョエファミリーに。
イツモコウイウ気持ちをもっている、そういう人でありたいなあと、
そう思った次第なのであります。
最後の最後でいい出会い。
これでペルーともお別れ。
次はエクアドルに入国です!