昨日のブログに書いた宗教法人の僧職と称する人は、「十八道を修行した上なら、何故不動明王かわかるでしょう」と
加行をしないうちの不動尊信仰は無駄だと言わんばかりの口調だった。
祭壇中央にお祀りしているお不動様の像を寄せて帰ったのだが、これは受け入れるわけにはいかない。
何故なら、私はお不動様に命をお救い頂いたのだから。
すぐに元通りお祀りした。
日本には在家の不動信仰が根付いている。
お不動様を信仰している在家の方はたくさんおられるではないか。
なので、「入魂されてない」と言われたら、引き下がるのではなく、
一層信仰に励むのみですね。
人生の大峠のような時期、不動堂で手を合わせた時の気持ちは、私自身でなければ理解できないだろう。