昔いた教団は、教団流の祖霊祀りを推奨した。

だが、元々在来仏教の檀家になっている家も少なくない。

教団幹部が事前に下見をして、仏壇の位置や細かいことを決めるが、それでも家庭内で対立することもある。

とあるお宅では、息子夫婦が脱会し、他宗教の信徒になったらしい。

その息子夫婦が当時経営していた飲食店を当時ランチで利用していたのだが、教団流の先祖祀りには疑問を呈していた。

「あれだけ仏壇をいじるのに、教団は自前で葬式もしないのか」など。

教団流の葬祭も存在するらしいのだが一般的ではない。

その教団では、教義上「戒名」を必要とするからだ。

戒名は御寺院でないと授けてもらえない。

そこのお宅では、御父上は熱心な信者だったが、家族内で対立してしまい、仏壇の祀り方でも揉めることになったようだ。

仏壇がらみの事で家庭内で対立するのは何とも悲しい事だ。

あの教団は分派が数派存在し、各派では改宗者の先祖祀りについては、接点を見出すようにしているという。

それでも、位牌を必要としない宗派もあるので、「必ず位牌が必要」とする教団のやり方は大変だという。

中には、お参りに来るご住職や親族からクレームにならないよう、もう一つ教団専用に仏壇を用意して先祖祀りをしたという方もいたようだ。それを聞いたときはさすがに驚いたが、そこまでする必要があるのか疑問である。

あの教団群の教義には、今も問題があるはずだ。

御仏壇は本来何のためにあるのか考えるべき。