物理空間と情報空間

 

コーチングではよく使う言葉でもありますが、内容はいたって簡単な物です、日々皆さんが生活している次元では、この物理空間と情報空間が総合的に働いています。

単刀直入にお話すると物理空間は情報空間でもあると言う事です。

 


物理空間とは

言葉の通り物理世界と言うんですが、我々人間がいつも見ている風景です、何かを手に取って見ている物は物理的に構成された物ですね、それは鉄だったりプラスチックだったりコーヒーカップ、コーヒーカップの中に入っているコーヒーは殆ど水分のように感じますが。

 

コーヒーの中身の成分は焙煎豆だと主に全多糖類が39%、脂質が20%、タンパク質が15%、ポリフェノールが1.3%、カフェインが1%、トリゴネンが1%、脂肪族酸が1.5%、無機成分が4.5%等々こんな事言っても意味不明な感じになりますよね。

単純に見た目がコーヒーと認識していてももっと細かく見れば様々な成分の集合体とも言えますね。もっともっと細かくすれば原子・元素になって来ます。これが物理空間です。

 

この物理空間の世界でも様々な作用がありますね、地球が重力を持っているのでそのコーヒーカップを持った状態で手を離すと地面に落ちて衝撃で割れてしまいます。この割れる動作や衝撃もカップの重さや速度によって衝撃に変化がもたらされます。

 

しかし、単純に言えばカップを構成している原子の繋がりが振動によって離れただけですよね、このような現象が日々絶え間なく巻き起こっています。

 

僕たちが道を歩いている時、両足と両腕を交互に振って歩いています、そうしなければ歩けないからですね。身体にもバランスがあってバランスを保ちながら歩くわけですから、しかし何故その動作をしなければ歩けないのかは地球の重力や大気(空気)があるからですね。

 

もっと早く走りたい場合、時速100Km以上の速度で(まぁそんな早く走れないけど)走った場合、普段歩くのにあまり気にしていない空気抵抗が現れます。超速で走りたいのであれば空気抵抗を抑えて。。。と言う話にもなって来ます。

 

これを広く考えるとどんなけ走ろうが、どれほど止まろうが、地球の自転には何ら変化は有りませんね、僕たちが泣こうが叫ぼうが太陽は太陽の都合で燃えています。物理空間では感情は存在しません。

 

仮に自動車に愛着を持っているからと言って「頑張ってエンジン掛かれ!」と言った所でエンジンは簡単に言えば鉄の塊です、細かく言えば色々なパーツに区分けされていますが感情は持っていません、それは脳を持っていないからですね。

 

「掛かってくれ!」と言いながらセルを回して掛かったとしてもそれはたまたまと言えるでしょう。

掛かった原因はエンジン内のピストンシリンダーに混合燃料が噴出されピストンが上昇、内部燃料が圧縮されて点火。それがたまたま上手くいったからエンジンが掛かっただけです。

それが物理空間と言うものですね。なのでコーヒーを服にこぼして汚れたからと言っていちいち悲しむ必要は無いと言う事になります、カップを持って誤って落とす確率が低いだけであってこの落とす確率が高く毎日のように落としていれば当たり前になってしまい何も思わなくなります。

単純に物理の作用であって勿論カップを離せばいつでも服を汚せると言う事になりますから。

 

 

情報空間とは

脳の機能そのもののお話です、本とは情報ですが、紙の本は物理的な紙の上にインクが落ちているだけのものですね、僕たちが文字を認識している事そのものが情報と言う事です、この今読んでくれているこの文字も画面のピクセル1つ1つが点滅、点灯しているだけで黒くなっている線や棒を見て文字(情報)だと認識しています。

 

無いように感じて実際に在るのが情報と言うものですね。僕たちが会話して言葉を認識しているのは声によって情報伝達されます、音と言うのは振動です。

 

脳で何かを考えているのは物理空間ではなく情報空間です。実際、想像で物理の世界では有り得ない事もできますね。想像で空を飛んだり、何も無い所から魔法のように火や氷を出したり出来ます。何故そんな想像が出来るかと言うと情報空間だからです。

 

人間の脳はその他の動物とは違って膨大な情報を貯蔵出来ます。眠っている時はレム睡眠だと夢を見ます。この夢はどういった方法で見ているのかと言うと起きている時の記憶を元に脳内の情報を最適化していると考えらえられています。この夢が正夢やデジャブを引き起こす原因となったりするわけですが。

 

このデジャブ。「何か前に見た事がある」となる現象ですが、何も不思議な出来事ではありません。人間の脳には無意識に取り込まれた記憶もあるので、夢の中では見た事の無い人が現れたとしても実際見た事のある人です。それは街中で歩いているだけで様々な人と出会っているのは理解出来るでしょうか?自分が何かに視点をあてていても実際は意識に上がっていない映像も脳は無意識に記憶に取り込んでいます。

 

この見えているけど見えていない部分をスコトーマ(盲点)とも言うわけですが、夢に出てきた見知らぬ人はスコトーマの部分で取り込まれたか、あるいは複数の人の顔や身体の1つ1つのパーツを元に脳が再構成させた新しい人物になるわけです。なので見た事の無い人や物は人間の脳では構成出来ないようになっています。これが情報空間の性質とも言えます。

 

人間はこの情報によって支配されていると言っても過言ではありません。ニュースメディアによって報道されたニュース情報を鵜呑みにしてしまう人が何人もおられますが、実際の1つのお話に対しても100%の情報はありません、それは1つのニュースに対しても膨大な量の情報なのにたかが数十分で全て伝えれるわけがありません。重要視される所だけ抜粋してそれを伝えているだけなので情報は圧倒的に少ないとされます。

 

この少ない情報だからこそテレビをよく見ている人は情報に踊らされてしまいます。仮にそれを信じないとしても「信じるべき情報」が不足している場合、何を信じていいのかが解らず途方に暮れる事でしょう。

 

しかしながら情報とは全てにおいて繋がっている為、知らなくても繋げて行く事も可能です。

僕たちの身体は細胞の集合体ですね、これは細胞分裂によって代謝を起こし日々新しい皮膚を再構成させたり傷口を治したりしてくれますがこの細胞分裂に使っている情報。つまり出来るだけ元通りに治すにはDNAが必要になってきます、このDNAそのものも情報と言うわけです。

 

※脳細胞的写真、このように情報空間も全て繋がっている

 

これをどんどん掘り下げて行くと全てが情報で構成されている世界となって行きます。

 

僕たちが今見ている映像も情報であって物理空間ではありません、スマホの画面も情報だしテレビの画面も情報です。スマホでユチューブを見ていて見ている人間がスマホの中に住んでいないのは誰しも理解出来るでしょう。今では液晶画面で薄いテレビも中に芸能人が住んでいるわけではありませんよね。

 

これはコンピュータ等で情報処理を行って電波として流している情報だからです。実際はあるようで無いのが情報空間と言います。

 

幽霊も情報空間のお話です。霊とは人それぞれ解釈が違うかもしれませんが物理空間には存在しません。ではどこに存在しているのかと言うと情報空間です。簡単に怖い!不安!と言った感情そのものの情報が疑似的に見せている情報と言うわけです。

 

本来人間は脳にある視覚野と言う部分で映像を認知しています。幽霊が見えている人はこの情報を自分の脳内で作り出し、視覚野を通し幽霊を見ていると言う臨場感のある疑似体験を行っています。

 


このように普段何気なく生活している中で情報空間と物理空間は存在しているんですね。


物理空間とは皆が信じてやまない形の見える空間です。

情報空間とは無いようである空間と言うわけです。

 

 

コーチング

コーチングはザックリ言うと自己啓発的な論理ではありますが、その人を伸ばす方法ですね。

「やりたい事が無い。どうすればいいのか?」と言う人に「やりたい事も解ってないのに相談に来るな!なんて事は言いません。」やりたい事が見つからない人に対しては一緒になって探します。

目的や目標(ゴール設定)を持っている人に対しては、それを全力でバックアップします。想像している情報空間に対し、いかに上手く物理空間へアウトプットしていくかと言う問題になってきます。

人は夢や希望を叶えたいと思うのが大きな原動力になるので、それを実現させる為の教えのようなものです。

 

本人の脳内にある物理空間と情報空間にたいし整合性を求めて行くと言った作業ですね。

 

簡単に言えば人生の本格的な応援団と言えばいいでしょうかね(笑)少し違うかもしれませんが(´∀`;A

 

 

情報の大切さ

基本的に大多数の人がこの情報空間に優位性がある事を理解していません。それもそのはずで「お買い物」と言えばお金を払って何か物を得ると言うのが主流な考え方だからです。これは物理空間に重点を置き過ぎているから理解出来ない部分でもあります。

 

情報を買うと言うのは正直、忘れてしまったら意味が無くなって来ますが、その情報を頭の中に定着させる事で優位性が発揮されます。

 

「米を炊いて下さい。」と言うお願いに対して「米を洗剤で洗ってから炊く」と言う人が実際います、これは情報源となるものが本来の情報からかけ離れた解釈が成されているいるからですね。しかし、本人はそれが「普通」だ「当たり前だ」と信じているからこそそのような行動にうつるわけです。

 

「洗う」と言う動作そのものには間違ってはいませんが他人は「米を水で洗う」と言う事が当然と考えている人は米を洗剤で洗う動作が「おかしい」と受け取るわけです。勿論、洗剤で洗った御飯を食べると健康被害があるので食べれる物ではありませんし、味もおかしな味にちがいありませんが。

 

物欲に執着してしまうからこそ見えなくなってしまう情報空間でもありますね。

 

 


輝優伸でした☆

 

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