今では少ないかもしれませんが、「心」とは脳があるからこそ表現できる、いわば外部刺激による現象です、これをザックリ言うと「心」と言うわけですね。

 

先に言っておいていいですか?この下にイラストですが脳の写真がありますので、ソッチ系が駄目な人はご飯を食べながら見るのは避けるようオススメします(笑)それほどグロテスクではありませんけどね(´∀`;A

 

大昔では身体の中には「魂」が宿っていて、病気になると言う事はその「魂が病んでいるから」と言う解釈が成されていました。「病は気から」と言う言葉もしかり、魂や心が病んでいるから病気になりやすいんだよと言う考え方です。

 

しかしこれは医療的に考えると間違っていると考える人も多いかと思いますが「気」も確かに重要であり、近年この医療の考え方が重要視されているからこそ現代の人々には「気」と言うものがなんなのか?と言う風に理解が乏しくなっているのでしょう。

 

簡単なはずなんですが、今日はちょっと難しいかもしれない?ので宜しくです☆

 

※これ花火だと思うんだけど、脳の神経細胞ポイ写真です。


気とは?

 

簡単に言うと気持ちの問題と言う事です(笑)。ネガティブな思考ばかりを巡らせていると原動力が失われ、動きが鈍くなりたちまち運動不足になります。この運動不足から引き起こされる病気も実際ありますね。

 

お相撲さんは見た目はかなりの肥満体に見えるでしょう、肥満だと体脂肪が身体の血の循環を悪くし脳卒中、脳梗塞や骨や神経の病気が引き起こされます、これは運動不足によるものが大きく表れています、お相撲さんは日夜稽古をやっており、あの身体の中身は実際では筋肉だったりするのであの体系を維持できるわけですね。

 

そう、「気」とは解りやすく説明すると原動力になるものですね、元気が無い人は動き回る事をしません、行動力を阻害する何かを解決できれば「気」なんて簡単に作る事が出来るんです。

 

 


脳と心

 

脳と心の関係については、17世紀にフランスの哲学者ルネ・デカルトが「脳と心はそれぞれ独立したものである」と唱えましたが、実際は脳があるから「心と言う現象」があります。簡単に言えば心とは現象です。よく手を胸に当てて「心」と表現しますが、そこは心臓です。心臓は心を持っていません。心臓をコントロールしているのは電気的な運動であってその動作そのものは心とはあまり関係がありません。

 

しかし、運動などして体内に酸素が必要な場合、息切れしたり呼吸が荒くなたりします、これは脳との連携動作でホメオスタシスが動いているからですね。

 

現在は「心は脳の動きによって作り出されている」と言う一元論が成立しています。

 


心の働き

 

思考、感情、情動、意思、注意、認知、認知意思、言語、学習、睡眠、自意識、覚醒、運動制御の種類に分ける事が出来ます。これらは大脳にある大脳皮質で司られているとされています。大脳皮質は大脳の表面を形つくっている2~5ミリの層の事を言います。

※ザックリな頭を縦に切った場合の図

 

見慣れない漢字が並ぶので少々解りにくいかもしれませんが。。。。古皮質(爬虫類脳)・旧皮質(旧哺乳類脳)・新皮質(新哺乳類脳)の順に下から重なり合っています。これらは古から出来た脳の仕組みを上乗せ上乗せと進化してきた感じと考えてもらっても大丈夫です。

 

最初は単細胞から始まり、進化を重ねてこのような脳の形が形成されていると考えられています。

 

この古皮質と旧皮質をまとめて大脳辺縁系(ダイノウヘンエンケイ)と呼びます古皮質は食欲や性欲などの本能の、旧皮質は快・不快・怒りなどの情動を、新皮質は言語、芸術などの創作活動など高度な心の働きに関わっています。

 

また、大脳は機能の違いから前頭葉(ゼントウヨウ)、後頭葉(コウトウヨウ)、側頭葉(ソクトウヨウ)、頭頂葉(トウチョウヨウ)と言う4つの葉に分類されます。前頭葉は情動・想像力などのほかの生物には発達していない高度な心現象。

※これが大まかな脳みその大きく分けた感じの図

 

後頭葉は視覚に関わる情報処理に関わります。側頭葉は形・音・色に関する情報処理を行うほか、古皮質にある海馬と連動しながら長期記憶を蓄積します。頭頂葉は痛みや触覚(ショッカク)に関わる情報処理を行います。

 

そのほか、大脳の働きを制御する脳幹(ノウカン)、身体の運動機能を調整する小脳(ショウノウ)があります。このように、生物の中で最も進化した存在である人間の脳からは、様々な心現象が生み出されていると言う事になります。

 


心の病気

 

心の病気はとは上記の機能そのものに片寄りが生じて感じ取り方や考え方が極端になったり敏感になったりする事で、本人の脳のバランスがおかしくなる現象だと考えます。だからと言って障害ではなく、脳に蓄積された今までの「概念」そのものが深く関わっているからなんですね。

 

例えば「熱い」という言葉と「冷たい」と言う言葉の概念を入れ替えるとどうなりますか?熱湯に手を突っ込めば熱い!と叫ぶはずが冷たい!と叫ぶ事になります。これは他人からすれば変な行動となってしまいますから「理解出来ない」となってしまいますよね。

 

本人は何とも思っていない発言も他人が聞けば「酷い考え方だ」となったりするし、些細な発言でも敏感に察知して落ち込んだりしたりもします、そもそも考え方と感じ方が大きく違うだけで「心の病気」と言われているだけですね。基本的には人間とは集団で生活する種類の動物ですから。その集団と違う考え方や、異なった行動を起こすと「変な人だ」と言うイメージを植え付けてしまいます。

 

学校でも起立、礼、着席。と言う習慣が今ではやっていないらしいですね。これもこの号令のようなものを「親が辞めてくれ」と言う要望に対し学校側が容認したわけです。「気持ちが入っていないのに、礼をしても無駄」と言う意見があったそうですが、ならば代わりに親が気持ちとは何なのか?と言う事を細かく説明できる親はどれほどいるのでしょうか?

 

礼儀とは文化でもあり習慣でもありますよ、あってもなくてもいいかもしれませんが、建前上なければ人間社会において不適合さがあるかないのかを「辞めろ」と言うのならばそれなりの教育論が必要になってきます。このように小さい頃から植え付けられた概念そのものが大人になった時との概念のギャップにより「心の病気」が発症しやすくなってしまいます。

 

単純に申し上げますけど、「心の病気」とは全て勘違いで始まります。病気そのものの概念も勘違いから始まっているんですよね。「あなたは心の病気です!ドーン!」と言う言葉を信じれば勿論病気になってしまうんですよね。

 

 


実は心とは単純なもの。

 

理解している人からすればもの凄く単純なものではあるものの、何か目的や目標に対し行動して行く上では細かく知っておく必要があるでしょう。しかし心がどういったものなのかは本人自身が一番知っているはずなんですね。自己管理や自己分析と言った行動はあまり無く、自分の事を知らない人のほうが多くいます、「何故このような行動を取ってしまったのか?」「何故自分はこんな感情なんだろう?」これは正直、人に聞いても解るわけありません。

 

しかし他者から見ればその人の状況や状態、思考法則を認識すればその人の問題点となる所がおのずと見えてきます。この他者がどのように見えているのか?という部分を知るか知らないかでも大きく変わってきます。「間が差した」このような言葉を発する人は全く自分を理解していない表れでもあります。

 

仮に、怒ると言う感情動作において、何故怒るのか?を本人に聞いても「今の出来事」についてしか回答がありません、何故感情がどのように動いて怒りが出てきているのか?そして何を意図して怒りを出しているのか?は本人は全く理解していないから結果的に「怒る」事が出来るわけです。これに付いても怒る怒らないかは「性格の問題」と簡単に解釈するが故に未だに怒りについての理解が深まらないわけです。自分の考えていた事が思ったようにならないだけで怒りが生じ大暴れするような人も実際います、こうなってしまっては言葉による理解は不可能に等しく脳が馬鹿になっている証拠でもあります。

 

これは悲しみや喜びといった感情も同じ事なんですね。本来はこの感情そのものを自分でコンロトールする機能があるのですが「概念」そのものに偏見が存在しているからコントロールが難しくなってしまうだけでしょう。

 

 

ね。簡単でしょ?

 


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