いつもご覧いただきありがとうございます。人生コンサルタント きゆーしんです(笑)

25日の昨日は父のカウンセリングをしてたので更新出来ませんでした、サーセン(>_<)

 

今日は責任ってなんでしょうねっってお話なんですが。


働いていたらよく言われます、っと言うよりも様々な所でよくいわれますよね「責任を持て」とか。

 

そもそも無責任な人が責任持てと言う事がよくあるかと思います。


その責任ってなんなんでしょうか?深く考える人も、そうでない人もいるでしょう、僕が考えるにはほとんどの人が”責任”と言うそものもを理解していないような気がします。

 

深く考えない人はヤバいですよね、浅く考えてしまうとどうしても本質が見えないままの楽観的思考になってしまいます。それが結果自分を苦しめてしまっている事になりますからね。

 

例えば他人の物を壊してしまった場合、弁償したら責任取ったと言えるのでしょうか?

仮にその「物」じたい、所有者にとってとても大事な「思い出」があった場合、全く同じ物が返ってきた、しかも新しい物が!これって責任取ったと言えないですよね。

 

仕事をしていて会社に損失を与えてしまった!上司にこっぴどく叱られてしまい責任とれ!と言われた。、ここで対策・対応を考え提案、報告書を提出しました。これって責任取ってないですよね。

 

人ってなんでもかんでも何かのせいにする人がとても多い星ですが、責任ってなんだか解りますか?


借金を抱え責任取れ!と言われても、無いもの無いんだから反しようがない、とのお金って私利私欲で使ってませんか?

 

何かを盗んで責任取れ!と言われ警察に行くのも責任取ったと言えるのでしょうか?


何か違う気がしませんか?


本来の責任とは「責任取れ」などと言われて取れるものではありません。お金払って許してくれるような事を責任とは言えない。

壊した物を修理したり、弁償したりするのは責任とは言えない。


それってお詫びや謝罪と変わらないのではないでしょうか。サラリーマン時代、会社でもよく言われていましたが「社会人は責任を持とう」なんて言われてもパッとしないし、責任を持っている会社員なんて100人中1人もいなかった。

 

僕はその時こう思った。「なんて歪んだ世界なんだ」


いけないですね、何かのせいにしたり、誰かのせいにしたり。そんな考え持っているから「責任」が見えてこないんでしょう。

 


責任とは

 

自分がやってしまった事、失敗した事をきちんと反省し、もう二度とそんな事したくないと決心する行為そのものが責任ではないのだろうか。

 

実際、責任取れ!と言われて弁償したところで自分は何も悪くないと内心感じていたらそれは責任取ったと言えない。報告書を書いて提出したとしても本当に同じ過ちはしたくないと思わなければ責任取れたと言えない。

 

それは他人から見ても解らないかもしれない、反省していますと言うアピールなんて必要ない。しかし殆どの人が建前だの見た目だのばかりを意識している。

 

ただただ。自分の考えの中で、こんな経験やこんな思いはもうしたくないから今後やらない、もうしたくないと決心してやっと責任と言えるのではないのだろうか。

 

そしてその教訓を忘れずに継続的にしていくこと。

 

上辺だけの責任なんて本当はいらないんですよ。

 


無責任とは

 

何が起こっても妥協が肝心。自分にはそんな事有り得ない、自分だけは違う、失敗しても今だけだからと考える。それでいて人の悪口や批判ばかりしてしまう。

 

自分が何をしたいのかも分かっていないし、そんな人は基本的に人に偉そうな事を言うのに自分は偉そうに言えるような行動すらしていない。

 

自分を棚に上げるから信じてくれる人がいない、信じてくれる人がいないから人間は信用できないと考える。

自分にも無責任だから人にも無責任になってしまう。人に無責任だから自分にも無責任になってしまう。


そもそも責任の考え方が間違っているから責任って重たく感じてしまう。

責任って自分の問題であって他人はあまり関係ないんですよね。


こんな時代だからこそ1人1人が責任を実感してほしいものですね。

 


輝優伸でした☆