思考幅とは

考えている範囲の広さを言い、物事を断片的に見たり偏った見方をするのではなく全体像を想像したうえで考える事を思考幅を広くすると言います。


例えば、思考幅の狭い人はなにかと直ぐに怒ったり泣いたりします。それは何故か?となるのですが、怒ると言う動作に対し自分が怒った事による様々な「影響」を考えていないと言う事になります。

 

尚且つ怒る事で思考幅が余計に狭くなり相手を不快にしても「どうでもいい」と考えてしまいます、しかしこのような人は冷静さを取り戻した時、「悪い事をしたかな」と悩んだり、「傷付けてしまったかもしれない」と内心考えてしまうのは感情により思考幅が狭くなったと言う現象になるわけですね。

 

酷い場合にはある事ない事を並べどうにかして相手を傷付けてやろうと言う行動に走り、冷静になってから謝ると言った行動にもなってしまいます。

 

例えば、お隣さんやご近所の人に挨拶するかしないかでも、思考幅が狭い人は「その時の場」しか見えていないので近所の人でも挨拶をしないと言う行動をとったりしますが、思考幅が広い人は何かあった時、困った時など様々な状況を含め挨拶をし人間関係を深めたりします。

 

計算高いように感じますが、これをわざわざ意識せずに行えるようになるのが目的です。

勿論、計算高いいやらしい人もいるので一概には言えませんが。


例えば、コンビニ強盗をしようと言う目的があったとします。思考幅の狭い人は目先の現状に囚われてしまうので高々数万円で人生を棒に振り、リスクを犯します。


思考幅の広い人はそもそもリスクが高すぎるしやったとしてもコンビニには防犯カメラやカラーボールも設置しているし、防犯用のベルがレジの下にもあるしその行動や考えが無駄だと考えます。

 

強盗なんてしたら誰が困るのか、どんな人に迷惑が掛かるかも考えればやる意味がなくなってしまいますよね。それにお店側も強盗なんて嫌いだし迷惑だから予防策をとっているのはこのご時世では当然でしょう。犯人を捕まえる包囲網は既に出来上がっています。


私利私欲や自己中心的が悪いわけではありません、孤立した自分だけの思考は大事です、しかし悪い意味や悪い捉え方をされるような行動法に触れるような思考・行動は避けるべきですね。

悪い事をすれば返ってくると言うのも思考幅を広げればどのように返ってくるのかが見えてきます。


思考幅の広げ方。

この考える範囲を広くするには学ぶしかありません、何をどのように学べばいいか?と言うのが疑問に思うかもしれませんが、全ての情報を飲み込むように学びを得ます。

それ以外にも知っている情報と情報をどのように繋げるけるかがキーワードになり、ある程度の知識があれば繋げて思考幅を広くする事も出来ます。

 

何でもいいのですが、例えばこれ。

これは僕が撮った写真ですが何に見えますか?何の変哲もないただの畑にしか見えません。

しかし、見る人によってこの写真は頭の中で変化をさせる事が出来ます。


何を連想出来るでしょうか?

葉、根、水、川、空、天気、晴れ、風、緑、落ち着く、沢山、いっぱい、穏やか、雲、畑、農家、地盤、カエル、鳥、カラス、夏、春、水やり、育ち、稲、実、米、御飯、食事、販売、栄養、炭水化物、運動、走る、消費、ダイエット、筋トレ、、、、、と永遠に続いて行きます。

たった1つの写真でも色々な物を連想し繋げて行く事が出来ますね、この考え付く数の多さが思考幅の広さとなります。

 

例えば、道に迷った時にこの写真を見た場合、行く方向が見えて来ます。

このように見え方で何にでも変化させる事が出来ます。迷った時、優柔不断な自分を律する為の自分ルールとしても使えます。目に入ってきた風景をイメージで捉えると言った方法です。


楽しい感情を出してみて下さい。そうすると。。。

バンザイした人影が現れたりします。見る気分を変える事でも見えるものが変わってきますね。

 

っと言っていたらキリがないのでこのへんにして。。。。

 

これをするには偏見と言うものを取り払う事が最も有効で、「これはこれ」「あれはあれ」と言う概念が見えなくさせています、思考幅を広くする為には固定概念を崩さなければなりません。


この頭の中で今持っている知識だけでも膨大な量の情報が眠っていますね、出生から10年間生きれば十二分に私生活には支障のない程の情報量が確保できるでしょう、要は繋げ方です。英才教育を子供の頃から訓練して行くのはこの為です。


これを人の会話でするのなら、怒られた時、誰でも嫌な気分になります。「嫌な気分」になってしまうと本来怒られている内容が普遍的に見えて来ます。しかし嫌な気分を取り払えば本人が何を伝えたいかの真意が見えてきたりもするわけですね~

会話に関しては音=振動ですが、今回は写真で説明してみました。


これを見て下さい。何に見えますか?


知っている方はすぐに解ると思います、これはゲシュタルト破壊に使う絵なのですが。

 

この絵は有名なのでネタバレですね、人によりパッと見は聖杯に見えたり、白い部分にピントを合わせると人の横顔が両サイドに現れてきたりします。

この見え方の縛りが思い込みですね。

 

思い込み、つまり「これはこう」「あれはあれ」と言う強い概念が見えなくしてしまっています。

 

カップや横顔はほとんどの人が知っているかと思います。しかし思い込みや決め付けで物事を解釈してしまうと見えるモノも見えなくなってしまう。思考幅を広げると言うのはこの場合。聖杯=横顔で繋げると言う意味になりますね。


感情を抑えるのではなく感情をコントロールする事が本質であってそれは思考そのものです。

思考幅をドンドン広げて行けば、全てが繋がっていきます。

 


輝優伸でした☆