明治初期の西南戦争までは取材網が
未発達だったほか、県内の新聞も少なく、
戦況の報道も限られた範囲にとどまっていた。
だが、日清戦争以後は「鎮西日報」
「長崎新報」のほか、
「九州日之出新聞」
「東洋日の出新聞」「長崎新聞」
(現在の長崎新聞とは無関係)
などが続々創刊され、
戦争報道でしのぎを削る一方、
日露戦争後のポーツマス
講話条約に対する賛否について、
新聞自らが態度を鮮明にした論陣を張り、
集会なども積極的に展開、世論をリードした。
■新聞の大きな転機
日清戦争では、歴史的、
徳川 大樹




