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深堀造船所 「私の記憶では大洋造船所」
1943年(昭和18年)1月に香焼島の対岸の深堀村(現在の深堀町)
に新設。戦時中はE型戦時標準船を大量建造した。
川南工業倒産後の1965年(昭和40年)より林兼造船長崎造船所。
その後林兼船渠、長栄造船を経て現在は福岡造船長崎造船所。
浦崎造船所跡浦崎造船所
佐賀県浦崎(現在の伊万里市山代町立岩付近)にあった閉鎖された
ガラス工場を1940年(昭和15年)1月に川南工業が取得。
1943年(昭和18年)軍需工場指定。
二等輸送艦、回天などを大量建造。
戦後は(株)浦之崎造船所から伊万里湾重工業(株)となるも、
1955年(昭和30年)閉鎖。
そのまま放置され現在も廃墟が取り壊されずに残っているが、
伊万里市による撤去・緑地化計画がある[3][4]。
現在の廃墟は浦ノ崎造船所とも川南造船所とも呼ばれている。