5/28墓じまいの最終日、小川村まで一人車で行きました。
晴天 爽やかな日です。
更地にするまで18日間、きれいに片付いていました。
お清めの塩をまき、「長い間ありがとう」と心の中で。
10:30家を出ました。途中職人さんへおやつを買い
11:40墓地到着
12:30帰宅。
すぐ身体タラタラ、口も喋れない、家族に電話するも「只今電話に出ることができません」
死んでいれば帰ってきた家族がびっくりする。
かかりつけ医にやっと電話喋れないがなんとか通じた。しかし往診は出来ませんと。
もう一軒のかかりつけ医はお昼の休憩で行きません。
見放されガッカリ。
これで私が死んだらきっと後悔するーあ~こんな人だから後悔なんかしないかー。
電話も持てないのに、119した。
救急隊員は頼もしい。
全身麻痺状態で担架に乗せてもらい病院へ。
身体は死んでいても頭は鮮明。
先生の「変だ・変だ」という言葉が不安。
「先生私、気持ちはしっかりしています」と言ったが聞き取れないのでしょう。
なんてったって口が回らないんだから。
脳血栓とか脳に関係の病気を疑ったようです。
真っ青な空に純白の雲が輝いている、その中へ私が静かに登っていきました。
これは幻覚か?天国を見たのか?
CTとMRI検査。
元気になってから先生に聞いてみました。
病名も付けようがない、「急に暑くなったから身体がついていけなかったのでしょう」
「そんなヤワナ身体じゃない」
友達が
「お墓から何かのメッセージかも知れないねー」
科学で割り切れないこともあるのでしょうか????
先生も「変だ変だ」って言ってたしー。
(入院中も寝ているのは時間がもったいない、塗り絵をしました)
病院の事は書きたいことがいっぱいです。
私の病棟は重病人ばかり、寝たきりです。
見ていられなくて、お部屋の人の面倒見ました。
家族でなければ、親身の看病は出来いないのです。
看護師さんを呼ぶブザーを私が患者さんに握らせましたが
痛いと泣いているので行くとブザーは手の届かないところへ上げてある。
寝返りもできなく、下になっている体が痛いと泣いていますが
看護師さんはスルーでした。
薬剤師のいい加減さにもがっかりしました。
退院の日、配られたお薬は3食分、退院するから朝の薬だけでいいのにー。
しかも3食分全部間違っている。
看護師さんに「違います」と言った時のムッとした表情は意外でした。
薬を間違えると怖い。すぐ確認するのが当たり前です。
身体はダメでも私は普段より頭は明晰だったので気が付いた。
寝たきりの同室の方はそのまま飲まされてしまうのでしょうねえ。
コロナで面会が出来ない時は家族の目が届きません。
苦しんでいる人は本当にかわいそうで見ていられません。
退院した5/31は帰ってきた家が埃だらけに見えてお掃除もした。
病院からの大量の洗濯もした。
庭の草も少し取った。
庭師の請求書が届いていたので、銀行で振り込みもした。
帰りには小さなスーパーで買い物もした。
翌日6/1グッタリ
6/2昨日より少しいい。
娘が「お母さん、死んだとしても我が人生に一点の悔いもなし」って逝くんだろうねー。
確かにその通りでした。
全身麻痺で、痛くもない苦しくもないまま死んだら幸せだなー」と思っていました。
いつ死んでも恥ずかしくないよう、どこでも整理整頓している」と言ったデイの
先輩の教えが活きていました。
どこ見られたって恥ずかしくない。ただエンディングノートの説明を詳しく
話しておきたかった・・・心残りと言えばいえる。
寝たきりの人たちが哀れでなりません。
一日も早く面会できる日が来ますように願います。
病院食は大変参考になりました。
薄味・・・・私も薄味ですが食べる量が約5倍、薄味でも5倍は塩分摂っていますよね。
退院した日から、病院食に倣っていろいろな食材を使い塩分控えめ。
腹いっぱいになる程食べない。ま~今は何も食べたくない。
担架に乗せられ、アチコチベッドを移りましたが
「重くてすみません」と言いとおしでした。
これも喋れない口で言うんだから、
「朦朧としているとか、頭が傷んでいる」とみんなが思った。
ハッハー思い返すと可笑しいねー。
明日は元気になる。庭の草も取らなくちゃー。