終戦の今朝 投稿文が掲載されました。

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「素直に育ててくれよ」。父は二人の子供を、

出産間近の母に託して戦争に行きました。

母の親は既に他界し、頼りの兄は満州(現中国東北部)に。

母は子供が寝ている内に田んぼに出掛け、日中は会社へ。

帰ってきたら内職と寝る間もなく働きました。

でもすごいことにいつも明るく歌っていました。

朝、トントンと包丁の音とともに聞こえてくる母の歌声が

目覚ましでした。

遺骨も遺品もなく、父の死を信じられなかった母は、

父がいつ帰って来てもいいように、父の為の食事を作り、

鍵を開けたまま、もんぺをはいて寝ていました。

足音や「ただいま~」の声が聞こえたと時々、外に飛び出して

いました。

そんな母に世間の冷たい言葉は胸に刺さったことでしょう

とてもつらいとき、子どもたちの手を引き、父の遺骨のない

墓に向かいみんなで手を合わせました。

ある日、落合橋に立った母は「みんなで飛び降りて父ちゃんの

ところへ行こう」と。その時「嫌だ」と云った私の言葉に

我に返ったそうです。

どんなにつらかっただろうと、年を取るごとに母の気持ちが

分かるようになりました。戦争がなかったら、ほかの子供と同じように暮らせたはず。母はわが子がふびんでならなかったと思います。苦労した母ですが「子供がいたから生きてこられた。私は幸せだった」との言葉を残し、天寿を全うしました。

顔も知らない父ですが、天国で「おまえもよく頑張った。子どもを素直に育ててくれてありがとう」と母に云っているでしょうか。

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この画像は↑投稿文とは別の

 私の弟をモデルに、つい最近完成した、創作紙芝居の1部です。

戦争がテーマです。

 

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子供の頃

私は母の苦労も気づかず伸び伸び元気でした。

 

夏になると戦争が思い起こされます。

母の苦労が年を取るごとに

良くわかるようになり、切ない思いに駆られます。

 

胸が張り裂けそう・・・・そんな思いを吐き出さずにはいられなくなり

この投稿文を書きました。

 

暖かい手を差し伸べる人は大勢います。

 

東北震災で「ばいきん」などとイジメられている子供達、

何も悪いことはしていない、

親も家も大切な思い出の色々も失い悲しんでいるのに

更にいいじめられる子供たち。

戦没家族も全く同じように

冷たい目に遭ったのです・・・・

ただ私は幼かったので伸び伸び育ちましたが、

年を経るごとに母の苦労がよく分かるようになり切ないのです。