終戦の今朝 投稿文が掲載されました。
-----------------------------------------------------
「素直に育ててくれよ」。父は二人の子供を、
出産間近の母に託して戦争に行きました。
母の親は既に他界し、頼りの兄は満州(現中国東北部)に。
母は子供が寝ている内に田んぼに出掛け、日中は会社へ。
帰ってきたら内職と寝る間もなく働きました。
でもすごいことにいつも明るく歌っていました。
朝、トントンと包丁の音とともに聞こえてくる母の歌声が
目覚ましでした。
遺骨も遺品もなく、父の死を信じられなかった母は、
父がいつ帰って来てもいいように、父の為の食事を作り、
鍵を開けたまま、もんぺをはいて寝ていました。
足音や「ただいま~」の声が聞こえたと時々、外に飛び出して
いました。
そんな母に世間の冷たい言葉は胸に刺さったことでしょう。
とてもつらいとき、子どもたちの手を引き、父の遺骨のない
墓に向かいみんなで手を合わせました。
ある日、落合橋に立った母は「みんなで飛び降りて父ちゃんの
ところへ行こう」と。その時「嫌だ」と云った私の言葉に
我に返ったそうです。
どんなにつらかっただろうと、年を取るごとに母の気持ちが
分かるようになりました。戦争がなかったら、ほかの子供と同じように暮らせたはず。母はわが子がふびんでならなかったと思います。苦労した母ですが「子供がいたから生きてこられた。私は幸せだった」との言葉を残し、天寿を全うしました。
顔も知らない父ですが、天国で「おまえもよく頑張った。子どもを素直に育ててくれてありがとう」と母に云っているでしょうか。
---------------------------------------------------------
この画像は↑投稿文とは別の
私の弟をモデルに、つい最近完成した、創作紙芝居の1部です。
戦争がテーマです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
子供の頃
私は母の苦労も気づかず伸び伸び元気でした。
夏になると戦争が思い起こされます。
母の苦労が年を取るごとに
良くわかるようになり、切ない思いに駆られます。
胸が張り裂けそう・・・・そんな思いを吐き出さずにはいられなくなり
この投稿文を書きました。
暖かい手を差し伸べる人は大勢います。
東北震災で「ばいきん」などとイジメられている子供達、
何も悪いことはしていない、
親も家も大切な思い出の色々も失い悲しんでいるのに
更にいいじめられる子供たち。
戦没家族も全く同じように
冷たい目に遭ったのです・・・・
ただ私は幼かったので伸び伸び育ちましたが、
年を経るごとに母の苦労がよく分かるようになり切ないのです。